ヨルダンで自爆攻撃によるホテル爆破事件 死者67人(アル・ナハール紙)
2005年11月10日付 Al-Nahar 紙

■ ヨルダンのホテル爆破事件にザルカーウィーの影
■ 死者67人、負傷者300人、国境は封鎖

2005年11月10日付アル=ナハール紙(レバノン)HP1面

【アンマン:ウマル・アッサーフ、諸通信社】

 イスラム原理主義組織「アル=カーイダ」の関与を窺わせる爆破事件が続発するなか、アンマンで昨夜、自爆攻撃者がホテル2ヶ所で自爆し、他のもう一つのホテルでは爆弾が仕掛けられた車が爆発した。この事件で67名が死亡、300名が負傷した。これはヨルダンで起きたテロ攻撃の中で最悪のものであろう。ヨルダンは対テロ戦争におけるアメリカの主たる同盟国と見なされており、最近ではイラクとの外交面、治安面での関係改善を始めていた。この攻撃は、ヨルダン国王アブドゥッラー2世が、ジョージ・ブッシュ米大統領の要望に基づいて和平交渉を再開するようパレスチナ・イスラエル両者を説得するために、パレスチナ自治区とイスラエルへの訪問を準備するのと時を同じくして起きたものでもあった。

 ヨルダン当局は、この攻撃が自爆攻撃者によって、夜9時に間髪を入れずに実行されたものであると見ている。もっとも激しい爆発は「ハヤート・アンマン」(グランド・ハイアット・アンマン)ホテルで起きたものであり、「ラディソンSAS」ホテルでは、パレスチナ系ヨルダン人同士(それぞれエルサレムとジェニーン出身)の結婚披露宴が標的となった。車爆弾での攻撃は、他の2つの攻撃の場所およびイスラエル大使館から遠くないラービヤ地区にある「デイズ・イン」ホテルを狙ったものであった。

 医療筋が本紙に伝えたところによると、多くの遺体や負傷者の体には釘が多数刺さっており、自爆攻撃者たちの使用した爆弾は手製で、出来る限り多数の負傷者を出すために釘が埋め込まれていたものと見られる。

 爆破の直後、事件現場のホテル周辺は封鎖され軍の厳戒態勢下に置かれた。事件発生当時、「ハヤート・アンマン」ホテルにはアドナーン・バドラーン首相がいたと言われている。治安部隊は攻撃や爆弾が仕掛けられている可能性に備えて、大きなホテルから観光客を退去させ、その一部を護衛の下でアカバに移送した。
死傷者は官立の病院や軍事病院、私立病院に収容された。目撃者の証言によると、死者の遺体は爆発の衝撃でバラバラになっていたという。

 ヨルダン国営テレビは、大規模な破壊の跡や数メートルにわたって飛び散った肉片、大きな血痕の残る爆発現場の様子を放映した。

(中略)

■ 国王アブドゥラー2世の声明

 中央アジア訪問を中断した国王アブドゥッラー2世は今回のテロ攻撃を激しく非難し、ハーシム王国政府が発表した声明の中で、今回の爆破事件を「蒙昧にして人を惑わすグループによる犯罪行為」であると述べた。

 また、このテロ行為によってヨルダンが、テロとの戦いや、テロ犯罪集団やそれらの背後にいる人物やそれらの行為を正当化する者たちとの戦いにおいて自らの役割を放棄することはないと強調した。

 また国王は「平和に暮らしていた無実の民間人を卑怯な行為の標的にした犯罪者たち」に法の裁きが下されることを約束した。そして、「ヨルダンは安全で安定した国でありつづけるだろう。今回のテロ行為はヨルダンの価値観を代表するものではない」と強調した。

 また、副国王であるハーシム・ビン・アル=フセイン王子は爆破の現場を視察した。

■ ムスリム同胞団の声明

 ヨルダン・ムスリム同胞団のアブドゥルマジード・アル=ズナイバート最高監督者は3つの自爆攻撃を非難し、「テロ犯罪行為」であると表現した。

 ヨルダンの「ペトラ」通信社が伝えたところによるとズナイバート氏は「どんな基準をもってしても、今回の行為は犯罪でありテロである。平然として流血や虐殺をもたらし国民の尊厳を傷つけるこのようなテロ行為に走ることは、いかなるイスラム教徒にも許されない」と述べた。

 そして、「このテロ行為はヨルダン国民の生命、財産、安全を標的にしたものであり、この祖国の敵以外の何者にとっても利益にはならない。どのような論理や口実のもとでも正当化できないこのような卑劣で嫌悪すべきテロ攻撃を、我々は非難する」と付け加えた。

 今回の事件は、政府が失敗だったと見なしているアカバでの爆破事件以来、政府が阻止できなかった初めての爆破事件である。ヨルダンのホテルを狙った最後の爆破事件は1996年にアンマンのエルサレム・ホテルで起きたものである。

(後略)



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( 翻訳者:豊泉麻衣子 )
( 記事ID:1290 )