エルドアン・ドクトリン:欧州人権裁判所のスカーフ判決に首相が自論展開(Milliyet紙)
2005年11月16日付 Milliyet 紙

 エルドアン首相は、デンマークでスカーフ禁止議論に関し、厳しい批判を行った。首相は「トルコでは、8年間大学における宗教、良心および教育の自由が無視され、スカーフ着用の自由が奪われている。この議論に関し、裁判所が口を挟む権利はない。ウラマーに問うことこそが必要だ。ウラマーがいかなる結論を出しても、それに従うべきだ」と語った。また、憲法裁判所および行政裁判所の決定と、この決定を支持した欧州人権裁判所の判決に対し、「最終的な決定には宗教有識者の参加が必要である」と批判した。首相は、コペンハーゲンで行われたシンポジウム「文明間の融和:トルコの役割」に参加し、講演と質疑応答で、様々な分野での見解を次のように述べた。

■「判決には驚いている」
 スカーフの禁止は8年間続いている。この間、大学へ通う女子学生らは、国立大学および財団運営の私立大学にスカーフをして行くことができないでいる。私見だが、これは宗教、良心および教育の自由を制限するものである。欧州人権裁判所の判決には驚いている。法解釈、あるいは論説を読むと、われわれのやり方を「法への配慮に欠ける」と批判している。これは、紙上で決めたことだ。私にも私なりの解釈がある。私が刑務所に入ったとき新聞は「すでに町内の自治さえない」と書いていた。その後、レジェプ・タイイプ・エルドアンはトルコ共和国首相になった。どうやって? 再び司法によって、つまり変化し、発展した法により首相になったのだ。

■「ウラマーが決定すべき」
 欧州人権裁判所が下したこの判決には、司法の判断として私も従いましょう。しかし、権利や自由という観点からは妥当だと思わない。なぜか? 人間が頭を覆っているからといって、教育、宗教、良心の自由が無視されるなどということが一体ありうるのか。「信仰はいかなるときも法より優先されることはない」という。しかし、私も、スカーフをかぶることで大学教育の機会を奪われた女子学生も、そんな考えは持っていない。信仰にしたがって頭を覆っているのであり、それならば尊重されてしかるべきである。裁判所もこの件に関し、口を挟む権利はない。発言すべきは宗教有識者だ。

イスラムはその有識者に、ユダヤ教にはその宗教有識者に、キリスト教もその宗教有識者に問うべきだ。この件について宗教には本当の意味で指示を下すような文言はあるのか、と。あるのなら、それを尊重しなければならない。ないのなら、それはまた別の問題で、政治的問題にもイデオロギー的問題にもなるだろう。しかし宗教にそうした規定があるのなら、それは尊重しなければならないのである。〔イスラムに関しては〕この規定はある。この分野について多少は学んできた。イスラムの知識人に問わずに、このような決定を宗教以外の分野で下してしまうのは間違っている。これは問題であり、遅かれ早かれ解決せねばならない。学校へ行けない何十万人もの女子学生がいる。このスカーフ問題が解決すれば彼らは学校へ行けるのだ。機会を得られた者はヨーロッパやアメリカへ行って勉学の機会を得る。しかし、機会を得られなかった者は自らの厳しい運命に直面している。組織間の足並みがそろった暁には、この問題が解決へと向かうであろう。


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( 翻訳者:塚田 真裕 )
( 記事ID:1304 )