イリヤース・ホーリー「シリア防衛のために」(アル・ナハール紙)
2005年11月06日付 Al-Nahar 紙

■ イリヤース・ホーリー「シリア防衛のために」

2005年11月06日付アル=ナハール紙(レバノン)HP文化付録

 シリアのさまざまな反体制政治団体の署名によるダマスカス宣言が発表されたことで、二つの事実が明らかになった。

 一つ目は、シリアが現在直面している危機、とくに国連安保理において厳しい決議が採択された後の危機的な事態は、立ち向かうことが可能であり、克服することさえ可能だということである。

 二つ目は、シリアは空っぽの貝殻などではないということである。文化人と政治家の大きな受け皿を作り上げることに成功したシリアの反体制勢力は、国外に存在しているのではない。アメリカ占領当局と同盟を組んで国内を破壊に晒したイラクのチャラビーのごとき輩とは異なり、みじめな対外協力者となり果てることもないだろう。

 危機を告げる鐘は打ち鳴らされた。もはや沈黙の余地はない。シリアは今や孤立させられている。それはシリアが新たなイラクと化すことにつながるかも知れない。それこそまさに破滅である。危機に立ち向かうためには、偶像崇拝的なメディアが常用するごとき、自己正当化に終始する硬直的な言葉に頼っていてはならない。シリアがレバノンにおいて重大な窮地に追い詰められる原因となった数々の過ちを無視してはならない。真実と向き合い、責任ある者に責任を負わせ、そしてシリア政治の新たな一頁を開き、ダマスカスに春を取り戻し、政治と社会の収奪に終わりを告げる一大政治改革に臨むことによってこそ、危機に立ち向かうことが出来るのだ。

 困難な仕事である。そしておそらく、あまりにも遅かった。しかし、まだ遅すぎることはない。アメリカの新右翼が夢に描き、イスラエルが拍手喝采を送る暗黒の運命からウマイヤ朝の都を救うことはまだ可能である。

 どこが誤っていたのかは問うまい。独裁体制とは、誤りや過ちを次から次へと生み出す誤りそのものなのである。ダマスカス宣言は窮地から脱するための方針の大枠を示し、新たな始まりを基礎づけるためにシリア政治を構成するあらゆる勢力に手を差し延べた。基本となるのは緊急事態令の終結、単一政党による政権独占の廃止、多元主義、民主主義的展望の提示である。

 これらの目標に到達するためには、シリア当局は人民に対して大幅な譲歩をしなければならない。そして次のような二つの変化を開始せねばならない。

 第一に、ハリーリー元首相暗殺事件に関する国際捜査委員会に対して真剣に協力することである。シリア当局の捜査委員会設置は例によってあまりに遅かった。ハリーリー暗殺に対するシリアの沈黙や、アフマド・アブー・アダスの件、オーストラリアに出国した集団の話、暗殺現場の改変などシリア・レバノン両国の治安機関がとった行動ゆえに、世界中がシリアの暗殺関与を疑っていたのである。メリス報告書はそれを確認するものであった。かくして、容疑者を逮捕し司法当局に引き渡すことはもはや必須の条件である。ハリーリー暗殺の前後に起きた犯罪、すなわちマルワーン・ハマーダ暗殺未遂、サミール・カスィール暗殺、ジョルジュ・ハーウィー暗殺、複数の爆破事件、イリヤース・アル=ムッル暗殺未遂、マイ・シドヤーク暗殺未遂の真相究明もまた必須の条件である。第一に正義のため、そして殺人を生業とする機関の解体のためである。レバノンとシリアの国民はこの機関によって苦しめられてきた。それゆえにシリアとアラブの良心である闘士リヤード・アル=トゥルクは、シリア移行政府の樹立と恒久憲法制定のための基本議会の結成に基づく国民和解を呼びかけるに到ったのである。

 第二に、緊急事態令の撤廃と抑留者の釈放によって政治の新たな一頁を開かねばならない。アメリカの目論みはもはや明白である。要するに、体制に対して相次いで譲歩を迫り、弱体化させ、ついには打倒しようというわけである。シリア体制はリビアと同様の解決策を選択し、あらゆる譲歩を受け入れることもできる。しかしそれは体制を救うことにはならないし、シリアを救うことにもならない。ダマスカスはイラクの病魔に侵された都市となり、内紛と分裂という最悪のシナリオへの道が開かれることになろう。

 このアメリカのシナリオに立ち向かうためには、反体制勢力が示したところの、現状認識に裏付けられていると同時に気高さに満ちた提案以外に、選択肢はないのである。

 反体制勢力の提案は、クーデター体制が破綻した後、この地域が大いなる危機に瀕しているという現状認識に裏付けられている。その危機を口実に利用してアメリカ合州国は絶対的な支配を確立し、イスラエルにはパレスチナの土地を望むままに併呑させようとしている。クーデター体制とアメリカ合州国の相互奉仕の時代はもう終わった。言葉が内実を失って空虚なものとなり、アラブの大義という概念が専制と略奪の手段となり果て崩壊したことで、彼等の目的は既に果たされたのである。タッル・アル=ザアタルから大統領任期延長をめぐる醜聞に到るレバノンの苦い経験は、シャームの地が軍国主義によってそこへ導かれることとなった奈落のありようを集約的に物語っている。

 また反体制勢力の提案は、過去に対する復讐を企てることなく、祖国を脅かす危機との対決を絶対的に優先する倫理的な成熟と政治的な気高さに満ちている。だからこそ、圧制を終わらせ、自由と思想的・政治的多元主義を基本とする新たな一頁を開くことを呼びかけるのである。ダマスカスにおいてアラブの大義が再び鼓動し始めるために。

 今日シリアを脅かしている危機は、それに対する然るべき対応のありかたをシリアとレバノンの政治家および文化人が結晶化できるかどうかの正念場である。ベイルートにおける民衆の平和的な「独立のための蜂起」によってなされたレバノンでの一つの対応は、内戦の頁が閉じられたことに見られるように政治的な成熟の刻印を帯びた動きであったが、一方で宗派主義の構造に代表されるような政治的な脆弱性を抱えてもいる。また、イスラエルの占領に対する国民的闘争の新たなアプローチを形成し得ていないことに見られるように、思想的・戦略的な曖昧性にも直面している。現在の危機への対応は、真の「ダマスカスの春」が事の展開をあるべき歴史の道筋へと復せしめ、それにともなってシリア・レバノン両国がゴラン高原その他の占領地を解放するための長き闘いについての新たなヴィジョンを形成する力を取り戻すことによってのみ、完結するのである。

 レバノンとシリアにおける民主化闘争のために斃れた殉教者たちへの誠心を込めてベイルートが育んだオリーブはやがてダマスカスに咲くジャスミンとなり、自由と独立を希求するアラブの地をその芳香で満たすだろう。

 さて、我々はダマスカス宣言から一つの春が生まれるのを目前にしているのだろうか。それとも愚かな行為によってまた新たな奈落へと導かれることになるのだろうか。



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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:1307 )