ノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズが語るイード(ラマダーン明けの祭)の思い出(アル・アハラーム紙)
2005年11月03日付 Al-Ahram 紙
■ナギーブ・マフフーズ談:イードの3つの楽しみ
2005年11月3日付アル・アハラーム紙(エジプト)HPコラム
【ムハンマド・サルマーウィー記】
子どもの頃、イードといえば3つの楽しみが付き物でした。一つめは父がくれる1ギニー金貨、二つめはイードのカハク(クッキー)、3つめは新調のスーツです。
1ギニー金貨の喜びは格別でした。でもその当時は97.5キルシュの価値しかなかったのです。1ギニー紙幣のほうは正真正銘、きっかり100キルシュに相当しました。しかしその1ギニーの価値は、通貨としての価値ではなく、金ぴかの輝きと、それが一年の中でも別格に幸せな日を象徴しているところにあったのです。今ではこの1ギニー金貨に500ギニー近い値がつくと聞きましたから、間違いなく喜びも倍増したことでしょう。
次にイードのカハク。私たちが子どもの頃はいつも、母親手作りのカハクを友達と自慢しあったものです。そしてお互いにおすそ分けをして、自分のうちの分と友達の分とを、お腹一杯味わいました。私はカハクが大好物だったのですが、数十年前、糖尿病を患って医者に止められて以来、まったく口にしていません。
そしてイードのスーツですが、イードの晩にはそれを抱きしめて眠ったものです。スーツからは新しい服の匂いがして、イードの期間中ずっと私の体を去りませんでした。私が10才か12才の頃にもらって愛用したスーツのことはいまだに覚えています。イードの思い出と結びついていたので、ぼろぼろになるまでとってありました。
こうしたことは全て過ぎ去った思い出です。今や私にとってイードは、普段の日々と変わりありません。カハクも新調の服もイーディーヤ(お年玉)も、友達とお祝いに出かけることもなくなりました。人生も同じです。私たちは楽しみをひとつ、またひとつと捨て、ついには全ての楽しみを失うのです。そしてその時私たちは、旅立ちの時が来たことを悟るのです。
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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:1238 )