シャルグ紙13面
2005年6月8日、バンコク・スパチャラサイ競技場
北朝鮮 0
日本 2
ゴール:柳沢敦(73分)、大黒将志(88分)
昨日夕方、タイの首都バンコクの東部に位置するスパチャラサイ競技場は、市内で最も閑散とした場所の一つだった。31人のカメラマンや記者、200人の選手団や主催者側スタッフたちだけが、アジアからの2006年ワールドカップ・ドイツ大会出場一番乗りのチームが確定する可能性のある、日本と北朝鮮のセンシティブな試合を目撃することになった。
試合当日のバンコクの夜は暑く、比較的湿度が高かったこともあり、日本代表のブラジル人監督ジーコはベテラン選手をベンチに座らせ、容易に勝利を勝ち取ることができるとの自信をのぞかせながらも、慎重で統制された試合運びを選手たちに徹底させていた。
この慎重さはしかし、日本にとって比較的よい形での勝利で終わり、ジーコの選手たちは、ともかくもこの試合で勝ち点12をあげて、来年夏ゲルマンの地で開催される2006年W杯出場国リストに、アジアからの出場国一番乗りとして名乗り出た。W杯決勝戦に3回出場したジーコは、今回初めて、監督としても、栄光のW杯への出場権を手にした。日本代表の選手たちは北朝鮮に対して、前半はきわめて落ちついた試合運びをしたが、後半残り20分に、容易かつ平凡なゴールを2度決めて、8月17日のイランとの最終戦を消化試合にしてしまった。
日本の一点目は67分〔73分の誤り〕に柳沢敦が決めた。北朝鮮のゴールキーパー、ソンがはじいたこぼれ球はちょうどペナルティ・エリアにいた柳沢のところに転がり込み、日本の青いユニフォームに身を包んだ背番号13番(柳沢)が蹴り込んで北朝鮮ゴールを割った。このゴールのあと、北朝鮮選手は前回までの4試合と同様に、いらだった様子を見せ、連続して2回の警告を食らった。2分間に2回、パク・ナムチョルとキム・ヨンジュンが警告を受けた。この雰囲気が日本チームにも影響して、日本の稲本も71分に審判からイエローカードを受けた。
試合時間残り15分、日本は慎重な姿勢を明らかにみせながら試合を続けた。ジーコはこの時間に、勝利を確実なものとして本戦に進出するために、2人の守備的ミッドフィルダーを柳沢の代わりに投入した。しかし驚くべきは、日本がセオリー通りに慎重になっている時間帯に、2点目を追加することに成功したことである。昨夜の試合まで、この予選ラウンドで5敗を喫していた北朝鮮は、たった一点しかあげることができずにいたが、それも日本の中央のディフェンダーである宮本と中沢の守備の弱さのお陰で生まれたものであった。しかし昨夜は、宮本も中沢もともに、気持ちのよい夜を過ごした。彼らは、パク・ナムチョルといった面々をコントロールし、全敗の北朝鮮選手に、特別な動きをまったくゆるさなかったのだ。
2006年W杯ドイツ大会の予選Bグループは、この試合が終わってイランと日本の出場は確実だが、3位のチームにもまだチャンスが残っている。最低限の勝ち点しかなくとも、〔W杯出場をかけて〕Aグループ3位のチームと対戦することができるのである。勝ち点が6、7点あればドイツ大会に出場できてしまうという、ある意味タナボタなチャンスなのである。
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( 翻訳者:久野華代 )
( 記事ID:187 )