イリヤース・ホーリー「収穫と疑問」(アル・ナハール紙)
2005年05月15日付 Al-Nahar 紙

2005年5月15日付アル・ナハール紙文化付録

 悪名高い2000年の選挙法に基づいて行われる国会議員選挙の期日が近づくなか、レバノンのさまざまな政治勢力はさして意外な結果の見込めない収穫の季節を迎えようとしている。
 しかし、収穫に先立って、二つの前向きな点について銘記しておくべきだろう。
 先ず一つ目は、アウン少将がフランスでの長きにわたる国外追放から帰還したことと、それを民衆が盛大に出迎え、彼の政治的存在感を確固たるものにしたことである。国家の中枢において、軍事機構のなかから誕生したこのリーダーシップは内戦によって汚され、1990年に大統領府の周囲に集った大衆の蜂起によって浄められた。この大衆の行動はやがてキリスト教徒の若者たちの運動という色を濃くしていく。アウン派の特に若者たちについて銘記すべきは、感銘を呼び起こしたその闘争性であり、政治家層に支配的な世襲制を忌避する姿勢であり、声高にというわけではないが世俗主義化を主張しているとも言える非宗派主義的な言語であり、その社会的な諸相には未だ明らかでない面もあるが独立志向で民衆志向の言説である。
 アウンの帰還は、新たなアウン主義の誕生を告げるものである。その諸相は選挙戦において明らかになってゆき、日々の政治行動によって、その展望が描き出されていくことだろう。
 二つ目は、ラッフード主義の崩壊である。それは国会が前例のない政治的攻勢の渦中に大統領書簡の拒否を決定したことで明確な形をとった。排外的にして内実の空虚な、全面的にシリア・レバノンの情報機関に依拠する政治手法としてのラッフード主義は、紙でできた城のごとく崩れつつある。事の真相と経緯は初めから、ラッフード主義が自ら情報機関の支配を正当化する名目と化し、内実を伴わない政争の具と成り果てたときから、すでに明らかだったのである。
 倒壊してゆく権力の最後の頼みの綱がアウンの帰還による反体制派の分裂だというのも奇妙な話である。現権力に真っ向から対立する存在であるアウン主義が、外部に従属する現権力を一掃するための中心的な役割を果たさずにおくものだろうか。
 しかし、反体制派は分裂した。分裂は宗派ごとのブロック化という形をとった。この分裂は今後も激しさを増すと思われる。何と言っても現在の選挙法はキリスト教徒反体制派にとって不利であり、このため反体制派の一部は、自らの存在を主張するために自殺的あるいは破壊的とも思える姿勢を示すことになるかも知れない。この意味では、「津波」の発生を予感したワリード・ジュンブラートは正しかった。しかしレバノンの「津波」は、いくつもの波頭をもっている。ベイルートではハリーリーの嵐が吹き荒れ、南部ではアマルとヒズブッラーが議席の配分を固めてしまっている。北部では、バアルバック・ヘルメル選挙区は別としても、向かうところ敵なしの同盟勢力がある。
 選挙が行われるのは基本的にレバノン山岳県ということになる。これこそ、ビッリーがお馴染みのやり方で2000年の選挙法を押しつけたことの政治的帰結だ。つまり選挙は部分的なもので、その働きは二つである。
 一つ目は、ラッフード時代の残滓と、とくにベイルートと北部における情報機関の「遺物」からの脱却。
 二つ目は、山岳県での指導権をジュンブラート派と分担するキリスト教徒勢力指導層の輪郭を描き出すこと。
 一つ目は簡単な話である。それは「遺物」の大部分が選挙を辞退し、ルストゥムの直接の配下だった人々の殆どが敗北することによって片がつくであろう。
 二つ目のほうは、複雑で問題含みである。選挙はキリスト教マロン派が最低限の政治基盤を確立する以前に行われる。情報機関の支配する従属体制は、マロン派政治勢力を厳罰に処してきた。ジャアジャアは投獄され、アウンは追放され、カターイブ党はバクラドゥーニー氏の「検疫所」送りとなった。情報機関体制に対する宗派主義的な虚栄のゆえに、キリスト教徒穏健勢力の形成は妨げられた。或いは穏健勢力が、後回しにされたままの国民和解の空気のなかで然るべき役割を果たすことが妨げられてきた。
 また同様に、情報機関体制に対する宗派主義的な虚栄のゆえに、世俗主義的な政治勢力が周縁化されてきた。占領への抵抗がヒズブッラーに請け負わされ、シリア民族主義者が飼い馴らされてその政治的役割を終えた時、左翼や共産主義者は暴虐な粛清の憂き目に遭ったのである。
 反体制派が犯している最大の過ちは、アウンとジュンブラートの対立の火に油を注いでいることである。選挙でのこの対立が意味するのは、情報機関が再び窓から顔を出すということである。何故ならそれによって、南部の「指定席」勢力が次期国会で秤の重りの役割を担うことになるからである。
 地平線上に姿を現した政界の構造は、あまりにも宗派主義的である。国会は宗派による四頭政治体制の様相を呈する勢いである。支配的な勢力のそれぞれが自らの政治基盤を確立する能力もきわめて脆弱である。それは勿論、二度と起きてはならぬ内戦が再発するという意味ではないが、レバノンの貴き諸宗派が形成する基盤は危ういものでしかあるまい。そのために、各国の領事がレバノン内政を牛耳る時代が何らかの形で戻ってくる余地が生まれるかも知れない。
 このような分析は悲観的なのかも知れない。たしかに、反体制勢力がその礎となった政治的闘争はハリーリー暗殺という犯罪の後、急展開を遂げた。そして体制は、自由の広場における歴史的なデモの打撃の下に、記録的な早さで崩壊した。長きにわたってレバノンとシリアの人民を恐怖せしめたシリア体制は、人民と国際社会の圧力の前にその弱体性をさらけ出した。そして、シリア体制にレバノンを譲り渡したアメリカとの複雑な取り引きは、同様にシリア体制をレバノンから追い出す結果にも結びつきうるのだということが証明されたのである。
 反体制派は、現政権の崩壊を前にして新しい合意に基づく統治のプランを明確に打ち出すに到ってはいない。また、サウジ・アメリカ・フランスによる新たな覇権の構図も、アメリカのイラク侵攻を嚆矢とするアラブ諸国体制の混乱の渦中にあって、その全貌はいまだ明らかではない。
 レバノンが大きな曲がり角にさしかかっているのは確かだ。また、国会選挙が新しいレバノン像の形成に中心的な役割を果たすであろうことも確かだ。しかし残念ながらそれは、国民のための非宗派主義的なレバノン像とはなるまい。世俗主義勢力には、人民の新たな社会契約に根ざす世俗主義的で民主的な祖国の建設を始めるために、多大の闘争の任務が課せられることになろう。
 宗派主義の指定席に居場所のない変革勢力は、ともあれそのような居場所を求めるべきではないけれども、今は来たるべきたたかいに向けての基礎づくりをせねばならない。それは公正と平等と、すべての国民のための祖国建設のたたかいである。それは社会の中で、教育制度や労働組合、文化と政治の仕組みを築きあげてゆくたたかいである。




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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:46 )