文化大臣から知識人へのすすめ「酒を飲むより本を読め」に反論(Milliyet紙)
2005年06月13日付 Milliyet 紙

ジュムフリエト紙のレイラ・タヴシャンオールによるインタビューの中で、アルコール飲料に課されるOTV(特別消費税)の観光への影響にかんする質問に、アッティラ・コチ文化相が「この国の知識人に、ラクを飲むのと同じくらい読書の習慣があったら、オルハン・ケマル(作家)は貧しい状態で死ぬこともなかっただろうに」と答えたことに対し、文学、芸術界から様々な反応が返ってきた。
コチの言葉が「酒は読書を妨害するか?」という問いを世間に投げかける一方で、一部の作家たちがコチに賛成したことが注目された。この問題にかんして作家や芸術家が表明した意見は次の通り。

■“4人に3人は読書していない”
セリム・イレリ(作家):的外れの言葉でもない。しかし、これを酒と関連付けるのはおかしな話だ。読書の習慣がないことや、知識人の4人に3人が本を読まないことには私も同感だ。この国では、酒だけにお金を費やしているわけではない。他の事にも多くのお金を費やしている。ある程度教養のある人々は話、特に自らの政治的な立場について話すときにもう少し敏感になるべきだ。この国では、知識人も読書をしないし、金持ちも読書をしない。

■“文化敵対行動”
ベドリ・バイカム(画家):トルコではそもそも右派政権が文化大臣のポストを占めること以外に芸術に寄与したという記憶はない。寛容と言われる政府は、どんな風刺画にも、ヌード写真にも、酒にも寛容でない。
芸術家として、酒を飲むか飲まないかやどれだけ飲むかを文化大臣に説明する状況にはない。AKP(公正発展党)が寛容なら、首相の飛行機やレセプションの席でシャンパンを配ったらいい。飲みたい人は飲み、飲みたくない人は飲まないでおきなさい。知識人が読書をしないのは、文化に対する敵対行動だ。大臣が行ったのは、自由と創造に対する敵対行動で、自由のシンボルである芸術家や作家に石を投げることだ。

■“知識人は読書しない”
レフィック・エルドゥラン(作家):コチに100%賛成する。知識人の大部分にはまともな読書の習慣がない。オルハン・ケマルの本は、多くの人に読まれてきた。しかし、人は飲酒と読書を両立させることができる。酒を飲んでも飲まなくても、私たちが知識人と呼んでいる人の大半は実際は知識人ではない。因果関係がわからない。

■“2つは別のことである”
ヴェダット・テュルカリ(作家):大臣が何の目的で言ったのかは分からない。私には酒を飲む習慣はない。酒を飲まない人が作家なんているのかと時にからかわれることもある。コチはオルハン・ケマルに同情し、親近感を表そうとした。素晴らしい。2つの事柄に関連性は見出せない。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:211 )