アッティラ・コチ文化相の飲酒批判とオルハン・ケマル、続報(Milliyet紙)
2005年06月15日付 Milliyet 紙

オルハン・ケマル(本名メフメト・ラシット・オウッチュ)の息子ウシュク・オウッチュ氏は、父が刑務所にいた頃、食事時にはレタスを食べて生活していたことを回想し、「安定した収入がなかったので生活は困難でした。父の靴には穴が開いていましたし、靴底にはボール紙を張りつけていたことも知っています。哀れな父はこうして歩き回っていたのです。とても苦しい生活でした」と語った。オウッチュは読書する人は多くがインテリで、読書しない事が酒とはなんら関係がないことを述べた。

アッティラ・コチ文化相が、アルコール飲料に課される特別消費税(OTV)にかんする質問に「この国の知識人で、ラクを飲むのと同じ位読書の習慣があったら、オルハン・ケマルは貧しさの中死ぬこともなかっただろうに」と答えたことに対し、ジハンギルにあるオルハン・ケマル博物館を運営するオウッチュは思うところを述べた。

父が特定の曜日に友人らとラクを並べた食卓で何時間も語り合っていたことを回想するオウッチュは「クラブ・ラクをとても好んでいました。ポケットにお金さえあればイェニ・ラクの代わりにクラブ・ラクを飲んでいました。スィルケジにあるアダナケバブ屋へ友人らと出かけていき、おしゃべりをし、楽しんでいたのです。家で飲むときは、冷蔵庫がなかったので、私たちに氷を買いに行かせました」と語った。

■最大の支援はタライから
オルハン・ケマルに対する最大の支援はイステミハン・タライが文化相の時代に受けたと言うオウッチュは、博物館の開所式(2001年10月)をタライが行ったことやオルハン・ケマルの本が文化省の援助によって外国語へ翻訳されたことを話した。
プロジェクト(翻訳)がタライの退任後ストップしたことや、ブッシュ大統領の妻ローラ氏にもオルハン・ケマルの本が贈呈されたことを紹介したオウッチュは、コチが招待したにもかかわらず「オルハン・ケマル記念日および授賞式」に出席しなかったことに言及し、「出席されたなら楽しい会話が出来たでしょうね」と述べた。
コチが述べたような貧しさの中で育ったことを語ったオウッチュは、当時のことを次のように述べた。
「父が35日間刑務所へ入った時、母が「食事はないよ、パンでやり過ごしてちょうだい」と言ったことを思い出します。父が短編小説を売り、本を出版すればお金が入ります。しかし、収入は家賃と食費に消えてしまいます。兄弟では上の者のお古を着ていました。作家業だけだったために保険はまったくありませんでした」。

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( 翻訳者:塚田真裕 )
( 記事ID:233 )