今日、青年相が地中海選手権の勝者たちを賞賛(アル・アハラーム紙)
2005年07月18日付 Al-Ahram 紙
【この記事は最終版ではありません】
本日(18日)、ゲズィーラ島のリーダー育成学院において午後二時から開催される大祝賀会において青年相のマムドゥーフ・エル・ベルタギ氏が、スペインのアルメリアで行われた地中海選手権でメダルを獲得したエジプト人選手達への賞賛を行う。その際、彼らの努力と高い精神、そしてヨーロッパ、アフリカ、アジアの3大陸の猛者達が集まる地中海で最も大きく重要なスポーツイベントの中でエジプトの旗を揚げた事を評価して、金メダルには6万ポンド、銀メダルには3万ポンド、銅メダルには2万ポンドの褒賞が支払われる。この賞賛が選手達に達成の日を約束するのである。
エジプトの選手団は合計44個のメダル(金15個 銀10個 銅19個)を獲得した。この数字は上位6カ国のなかでも5番目に位置し、エジプトが合計74個(金24個 銀20個 銅30個)のメダルを獲得した1974年のベイルート大会以来の快挙である。
この地中海大会での歴史的達成は、2004年オリンピックアテネ大会の5つのメダル獲得(ヤリロフ氏を筆頭とするエジプト人コーチ陣、マフムード・ファトフッラー、アフマド・シャーヒーン率いるレスリング選手団のカラム・ジャービルの金メダルなど)に加えて、タイヤール・ムニール・サービト少将が議長を勤める現エジプトオリンピック委員会運営会議の達成表に入れられる。
また、ブルガリア人コーチ・、イワノフを欠く中、ファトヒー・ズライク、ムフスィン・アル=ブハイリー、ハーリド・カルニー、アムル・ラマダーンらのコーチ陣の下、選手達は、かつてない15個のメダル(金7、銀4、銅4)を獲得した。その中で特筆すべきは、ナハラ・ラマダーンの金メダル[訳注:重量挙げ69キロ級だそうです]で、エジプト国民と選手団に笑顔と自信を取り戻した。
空手では、チャンピオンとして責任あるレベルの彼らは自分たちに金メダル・チャートを課し、エジプトの今大会初のメダルを、女子の世界チャンピオンであるヘバ・サラーフの手により記録した。彼女は50kg足らずの体重と140cmの身長で対戦するが、身長・体重が小さいにも関わらず彼女の重さは金に値するものである。彼女のメダルは、エジプトにメダルを獲得しようとするチャンピオンたちに光明を与え、二個目の金メダルはムハンマド・アルシャーミーの■■によるものだった。この競技では、金メダル獲得という成績は男子では史上初めてのことである。
エジプトのボクシングは、ムハンマド・ハイカル選手が体重75kg級で金メダルを獲得したことで金メダル成績を維持した。他にもムハンマド・ラマダーンとバクル・アルアシャリーが銅メダルだった。
水泳では才能豊かなスイマー、アフマド・ムスタファーの競泳の試合が光を放っていた。彼は100m背泳の金メダルと200m背泳の銅メダルを獲得した。他にもムハンマド・サラーフが競泳50m背泳で銅メダルである。しかし柔道では、ラニヤ・アルワーニーの金メダル達成に後が続かず、この成績が史上記録となり、バーシル・アルガルバーニーが銀メダル3個、イスラーム・アルシャハービーとアミーン・アルハーディーで銅メダル2個を獲得した。この成績はエジプト人の専門家ヘルミー・フサインのものとして記録される。彼は、フランスの専門家ジャージュリーヌが今大会参加の1ヶ月半前に選抜チームを置き去りにして逃げ出した後、技術面での監督を統括したのである。
乗馬:再び銅メダルが乗馬のメダルの歴史に帰ってきた。それを実現したのはエジプトの騎手カリーム・エッ・ズグビーである。このことは、1987年ラタキア大会でムハンマド・シルビーニー、ハーリド・ムハンマド・アリー、オマル・イスマーイール、ムハンマド・ホサーム、ハーリド・ムハンマドらの騎手による団体金メダル、そして屈強な騎手ムハンマド・シルビーニーの獲得した銅メダルを思い起こさせる。今回の勝利は乗馬界の歴史に名を残すことになる。
バレーボール:最後に金メダルをつかんだのは、地中海大会初勝利を成し遂げた男子バレーボールチームである。世界チャンピオンでありオリンピックチャンピオンであるスペインに大会の最後を飾る決勝戦で勝利したことは、地中海の国々の人の心に素晴らしい勇姿刻んだエジプトの勝利の中でも重要なものの一つである。
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( 翻訳者:アラブ・メディア授業受講生 )
( 記事ID:529 )