「ぼくの漫画はトルコ・スタイル」:音楽グループMANGAのマスコットSPAの生みの親語る(Milliyet紙)
2005年08月07日付 Milliyet 紙

音楽グループMANGA(マンガ)のマスコットSPAは大人気だ。その生みの親、カーン・デミルチェリキさんはこういう。「日本の漫画では全てのキャラクターが完璧に描かれています。僕は女性のお腹に小さなヘソをつけて、トルコ・スタイルの漫画にしています。」

音楽グループMANGAの全メンバーは、日本の漫画の大ファンだ。そもそもグループ名も日本の漫画からとっている。彼らはトルコで初めてアルバム・ジャケットやミュージックビデオにメンバー自ら(の写真)ではなく、漫画を使ってデビューした。ミュージックビデオに出ていたかわいいマスコットがSPAだ。このマスコットに大変な人気がでたため、MANGAのコンサートでは、(聴衆が)SPAのポスターを掲げるようになった。SPAの生みの親は22歳のカーン・デミルチェリキさんだ。音楽グループMANGAとは3年前、インターネットで知り合ったそうだ。その日から今日までグループの漫画担当だ。

質問者:マスコットのSPAとは、どんな意味があるのですか?
デミルチェリキ:MANGAのメンバーがミュージックビデオで使うマスコットを描いてほしいと頼んできたのです。自分の描いたものを見たメンバー達は「子供のロバだね」とからかいました。子供のロバ(スパ)だ、親ロバだといっているうちにマスコットの名前はSPAになりました。でもずいぶんつらく悩んだ時期を経てできあがったものなのです。

■1年間、MANGAメンバーと一緒に生活
質問者:そのつらくて長い時期というのは?
デミルチェリキ:約1年間、MANGAメンバーと生活しました。彼らが歌を歌っているバーへ行き、何日も何日も彼らの動きを観察しました。メンバー皆が日本の漫画に関心を持っていたために話は通じやすかったです。私は映画「マトリックス」のオペレーターのように、メンバーがこうしてほしいというと、自分はそれを創りました。MANGAの仕事を担当しているとき、一方で大学も続けなければなりませんでした。教室の後ろの席で、隠れて漫画を描いていました。SPAとその他のキャラクターも、こんなふうにできてきたのです。

質問者:教室で描いているだけではないのでしょう?どんなワーキング・スペースをおもちなのですか?
デミルチェリキ:僕はよくひざの上で描いています。小さいころは、床に寝転がりながら漫画を描いたものでした。なんだかんだいっても僕の漫画はトルコ・スタイルなのです。

質問者:トルコ・スタイルの漫画とは何ですか?
デミルチェリキ:(日本の)漫画では、全てのキャラクターが完璧に描かれます。女性はとても美しいし、男性はとてもハンサムです。この漫画アートを自分達と調和させる必要があります。僕は、完璧な美しさの女性の体に小さなヘソをつけたり、空を飛ぶ合間にタバコ休憩をしているスーパーマンを描いたりしています。これがトルコ・スタイルの漫画なのです。

■デミルチェリキさんが描いたMANGAメンバー
○ヤームル・サルギュル:まるでこの世のものではないよう。もともと漫画では彼を天使にみたてて表現しました。彼を目にするときにはいつも「翼を大切にね」と言います。
○エフェ・ユルマズ:DJセットの前にいるため、腰より下はケーブルで見えないのです。
○フェルマン・アクギュル:グループで一番元気が良いメンバー。タスマニアンデビルのようにあちらからこちらへピョンピョン飛び跳ねています。
○オェズギュル・ジャン・オェネイ:グループの知恵袋。一時期、格闘技に取り組んでいたため「スター・ウォーズ」のジェダイのようです。とても美しい着物を着せています。
○ジェム・バフティヤル:グループのカリスマ的存在。現実社会と同様に漫画でも独特の雰囲気をもっている。

■学校の先生は、精神的な問題を抱えていると誤解
父は専門学校の事務官、母は郵便局で働いています。子供のころ、両親が働いていたため、孤独を強く感じていました。子供時代は、保育園に通うかテレビを見ながら過ごしました。私が退屈しないように、いつも白い紙が自分の前においてありました。保育園で三次元の物体を描ける唯一の園児が僕でした。公務員の子供であったため、両親に本物のおもちゃをねだる代わりに、ゴーストバスターズやミュータント・タートルズの絵を描いたものでした。まるで両親が僕におもちゃを買ったら、お金がなくなってしまうような気がしていました。時間の経過とともに、日本の漫画アートを知るようになりました。自分を最良の方法で表現できるものが漫画だと考えました。そんな時、父が首都アンカラから地方都市トカトへと転勤になり、描いたものが原因で僕は教師に職員室に呼び出されたことがありました。その教師は、僕が精神的な問題を抱えていると思ったのです。僕が描いていたものは、とても醜い生き物に抱きしめられている無邪気な女の子だったにもかかわらずです。


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( 翻訳者:山下王世 )
( 記事ID:611 )