イリヤース・ホーリー「想像上の謝罪」(アル・ナハール紙)
2005年07月31日付 Al-Nahar 紙

2005年7月31日付アル・ナハール紙文化付録

 サミール・ジャアジャアが出獄し、ミシェル・アウンが亡命先から帰国したことによって、レバノン内戦の最後の手前の頁が閉じられようとしている。
 実際には、アウン派とレバノン軍団派は、国会選挙における相異なった同盟戦術の選択を通して、それぞれのやり方でこの頁を閉じたのである。しかしまた内戦の頁はレバノン国民が殉教者広場に集い、独立のインティファーダを成し遂げたあのときに閉じられたのだとも言える。かのインティファーダは、宗派主義的政治勢力が事態を掌握し操作しようとするその能力を超える規模のものであった。このことはそれ自体、稿を改めて論ずる価値のあるテーマである。
 サミール・ジャアジャアは獄中で非常な苦しみを経験した。もっとも大きな苦痛は、取調べや判決の際におこなわれ、長きにわたる投獄の歳月にわたってつづいた人権侵害を前に、レバノンの政治家、メディア、文化人を覆ったあの沈黙だったのではなかろうか。
 今はこの倫理的・文化的な問題については措くが、この問題は看過されてはならない。人権を擁護する新しい世代のジャーナリスト、著述家、知識人は、ジャアジャアが獄中で蒙った抑圧や、シリア実効支配の時代にレバノンの人々が蒙った数々の抑圧を前にして自分たちがさらけ出した惨たんたる落ち度を思い起こさねばならない。レバノンとシリアの刑務所における囚人への拷問、パレスチナ難民キャンプに対する野蛮な包囲体制などなど、数え上げればキリがない。
(後略)

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:650 )