アイドゥン国務大臣:女性を150年前の状況におくのは不可能(Milliyet紙)
2005年09月08日付 Milliyet 紙
アイドゥン国務大臣は“テロといえば「イスラム」といわれてしまうのなら、我々は自分たち自身をよく観察する必要がある。我々が改めてイスラムを十分に説明出来なかったということである。未だに賞味期限の切れたような古い情報が出回っている”と述べている。
トルコとスペインがまとめ役を務めた文明間統一プロジェクトの“知識人グループ”のリーダー、メフメト・アイドゥン国務大臣は“プロジェクトは異なる文明の共通の価値観から出発し、共生の可能性を示す取り組み”であると述べた。
アイドゥン氏は“時代遅れの伝統にとらわれるべきではないということや、男女間の関係に関して出回っている情報が不快感をあたえるものである”ことを説明し、続いて本紙に対して以下のような考えを述べた。
■植民地主義的状況
□緊迫した情勢は有益かもしれない
「文明の衝突」論を理論として我々が信じていなかろうと、現実には一般の人々や意思決定過程を左右する一部の政治家たちによって利用されている。異なる文明を持つ人々がお互いを理解するのに困難を感じているのである。我々のプロジェクトは人々が感じているこの困難をなくすためのものだ。今日の世界では国際的な緊張が存在している。衝突の根本は政治的、経済的、軍事的理由によるものだ。宗教や文明はあくまで付け加えられた要素であり、本質的な理由ではない。この緊迫した情勢を恐れてはならない。きちんとした方向に舵を取れれば、このような緊迫状況も有益になる可能性がある。文明の衝突論は事実の隠蔽にすぎない。
ある国が出てきて“どこどこの国の天然資源が必要だ”などと言うものではない。これは植民地主義に基づく思想状況からくるものであって、宗教とはなんら関係ない。
■社会的正義はない
□西洋人と話しても無駄なことがある
文明の衝突論は十字軍の頃にまでさかのぼるような言い回し、思想、感情、そして偏見を呼び覚ましている。そしていくつかのシンボルや記憶を今日に呼び起こす。一般の人々さえも“こいつらは私の文明、宗教に敵対している”と考えている。
西洋人たちとの対話は時々全く意味のないものとなってしまっている。改善がないのだ。文明の衝突ではないのであるから、本当に偉大な政治家ならば勇気を持ってこの問題に直面してほしいと思う。
□イスラム世界は恥ずべき状態にある
“我々の文明の価値観に敵対している”と言う西洋人たちに、“その文明の価値観を開放せよ”と我々が言うと、ぎょっとするようなことを言われるだろう。たとえば“人間の尊厳に対する敬意”といったようなことを。つまりイスラム世界は人間の尊厳、正義、法の優越を西洋から学ぶものだと言うわけか? ただ、西洋が我々と違う点はこれらをうまく実行している点である。このことは勇気を持って認める必要がある。
社会的正義の観点から見ると、イスラム世界の状況は恥ずべきものである。今日、テロといえば“イスラム”と言われるのならば、我々は自分たち自身をよく観察する必要がある。我々は成功をなし得なかったのだ。しかし、西洋文化の優越という意識にとらわれてはならない。誰も正義や人間の尊厳についての授業をしようなどと考えるべきではない、それは失礼極まりない。
(中略)
■女性の自立
□女性を昔の状態には戻せない
男女間の関係に関して出回っている情報は人々に不快感を与えている。我が国の女性は経済的な自立を獲得すべきである。平等の下で、将来を共に築いていくべきである。時代に逆行するような本を読むと、こうしたことはある部分では難しいなどと考えるようになる。しかし、そんな知識はまさに時代遅れであると私は考える。女性が人前に出ることは当時の条件の下では正しいと思われない恐れがあった。しかし今日、女性は人前に出て行くべきであり、現にもう出て行っているのである。一人の女性が500人の男性に対し講演を開くことだってできる。このような状況を私は誇りに思っている。この状況をそのまま150年前の状況に照らして評価することなどできない。
□大衆文化の脅威
大衆文化はいくつかの価値観を乱している。芸術的価値のない、お金を稼ぐために生産された映画や書物、作品に接すると私は落ち着かない気分になる。
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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:825 )