ズーク・ミカイル国際フェスティバル テリロック・ゴルト公演(アル・ナハール紙)
2005年09月04日付 Al-Nahar 紙

■ ズーク・ミカイルの屋外ステージでジャズ:ゴルトはリズムの詩人

2005年9月4日付アル・ナハール紙(レバノン)HP1面

【マイ・マンスィー】

 それは、言語と遺産の証しである大地の匂い、色、音に満ちた感覚から、そして伝統と現代、伝承と即興を結びつける直感から発せられる、東洋音楽とその他の世界の音楽の交歓の催しであった。

 インド音楽には、インド料理と同じく独特の香りと味わいがあり、その芳香から時代を経てきた宝物が香る。その宝物は古びることはなく、その本質から古趣を湛えているのであり、それゆえにジャズやロックの音楽家など、民衆の自発性と伝統に根ざした旋律の精神を探求する全ての弦の旅人が目指す巡礼地となったのだ。

 テリロック・ゴルトが太鼓を打ち鳴らす指のリズムにのせて挽歌を歌うとき、彼はインドの婚礼や同地の習慣に根を下ろしている。そのしっかりと根づいた幹から生い茂った枝が高く伸び、さまざまな人種や言語と絡み合う。我々は黒い大地から、興奮のジャズの世界からの囁きを聞き取る。それは優しく、騒がしく、精神的な、賑やかな、多様な属性のうちから霊感を得たものである。ベースやタンバリンや太鼓の一打ごとに、どこか違う場所へといざなわれる。だが、その場所に落ち着く前に、テリロック・ゴルトの歌声が平和の大地へと、彼の大地へとあなたを連れ戻す。

 彼と共演したのはバイオリン奏者カルロ・カンティーニ、ギター奏者ジャン・オジラン、ベース奏者エマヌエル・ヨコシである。この顔ぶれに、バッシャール・ハリーファがゲストとして加わった。私は彼が若くして音楽家としての第一歩を踏み出した頃から知っているが、彼はその太鼓が奏でるリズムの正確さと生命力において、彼の父マルセル・ハリーファや卓越した感覚を持つ兄弟ラーミー・ハリーファに匹敵する。そしてその彼が今や、ズーク・ミカイル国際フェスティバルのジャズの夕べの第一夜に、インドの伝統的リズムの巨匠のステージに加わり、自らの内なる激情と、旋律の上に研ぎ澄まされた感覚を伝えたのである。

 楽団は、リズムへの愛情をひとしく共有する人類の大地から来た者たちによって構成されている。兄弟愛と対話と競争の言葉が、耳を澄ませる精神を魅惑の世界へと誘う。我々聴衆は、表現手法のうちにある無垢、また音楽的瞬間とその鼓動を創り出す本能のようなものの恵みに浴する。我々はまさに、五感の全てに訴えかけてくる古き継承者の前にある。我々は考え、味わい、全ての瞬間、旋律の一片ごとに、この継承者が新たな創造を行っているという事実に触れる。その素早い即興的な探求とともに、経験豊富な奏者たちが、他の地域の伝統と言語をもって創造の行為に加わるのである。

 この精霊が閉じ込められていた小瓶のなかから飛び出すやいなや、インドの婚礼に響きわたる歓声のごときバイオリンの調べに伴なわれて、ズークの空にリズムの雲が立ちのぼる。この精霊は一体何者なのだろうか?

 テリロック・ゴルトはリズムの詩人である。リズムは彼の太鼓の上で歓喜し、彼の手の中で和らぎ、森や滝の音に変わる。彼は魔法の箱から貝殻を撒き散らし、両手を振りかざす。我々は何が起こっているのか、探ろうと試みる。すると鳥のさえずりや獣の咆哮が聞こえてくる...傷ついたバイオリンの音が太鼓と調和した足どりで高鳴り、シルクロードを越えてインドの鼓動する心臓へと辿り着く。そして、イタリアの金の弧の弾き手であるカルロ・カンティーニが、イタリアの大地の音楽の痕跡を運んでくる。それをインドの遺産と融合させるとき、その混交はロマンティックな恋に燃える、灼熱の太陽の芳香を放つ。

 その傍らでギターとベースが、リズムの祭典に装飾を添える。リズムの主軸はあくまでも、柔らかな衣に身を包んだ見目麗しきインドの精霊と、一弾きごとにこのリズムの共鳴に才気の広がりを加えるバイオリニストだ。テリロック・ゴルトが太鼓と調和した声を喉から発するとき、あらゆる合図や声や動作の素早さにおいて熟達の芸術家の発声はあたかも、戦士が多数の軍勢を相手にいくつもの戦線で戦っているかのごとくである。

(後略)



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( 翻訳者:村山誓一 )
( 記事ID:812 )