「虚偽の警報」...爆弾の影に怯えるベイルート(アル・ナハール紙)
2005年09月23日付 Al-Nahar 紙

■ 「虚偽の警報」…怯える首都で

2005年9月23日付アル・ナハール紙(レバノン)HP1面

 昨日午後アシュラフィーヤ地区の「センター・ソフィール」ビルで恐怖を巻き起こした「虚偽の警告」は、レバノン人が日々体験している何十という例のひとつにすぎなかった。

 隣接する高速道路では自動車や歩行者が混み合い、この大きなビルの中でも人々の往来が最高潮の賑わいをみせる最中、突然治安部隊がなだれ込んできて建物の周辺を封鎖し、住民を退去させ、その後に精密機器や爆発物探知の訓練を受けた警察犬を用いて建物を綿密に捜索した。結局この建物には爆弾は全くないと判明した。無事に終わったものの、その間人々は息もつけないでいた。

 多くの市民は、あちらこちらで爆破事件が発生するという事態に見舞われて以来、国中に広まっている不安や動揺や懸念をものがたる何十という実話を、毎日のように語り、伝え合っている。

 爆破に次ぐ爆破に備えるという現象はもはや強迫観念となり、おしゃべりをしていても、夜の語らいや議論のなかでも、話題にのぼらないことはない。レバノン人は、自分たちが皆「同じ心配事を抱えている」ということ、家族の大人から子どもまでが緊張の発作に等しく見舞われているということに気づく。果ては海辺のリゾートやホテルで、結婚式その他色々なお祝い用に放たれるロケットやクラッカーの音ですら、攻撃の噂は真実だったのだという発作的な恐怖を市民に引き起こす悪夢となってしまった。

 ジュアイターウィー地区での爆発で、犯罪者や闇の細胞が安全な住宅地区まで入り込んできたという危険警報が点灯し、以来レバノン人は疑わしい自動車や見慣れない物体を見ると疑念を抱く「検査の専門家」そのものと化してしまった。

 爆発のことを考えるのがレバノン人の「日課」とまでなってしまった。これは「虚偽の警報」ではない。

なにしろ民間組織に対する防護措置や民間警備会社の存在は、仕事の際には欠かせない、日々のパン同様になってしまったし、言うまでもなく市民は最低限の安寧を与えられる限り喜んで検査に従っている。しかしこうした事態が終わりを告げるまで、人々のすり切れた神経はどこまでもつのだろうか?


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( 翻訳者:森本詩子 )
( 記事ID:966 )