トルコ訪問中の小泉総理、日本人215人を救出したトルコ人パイロットに感謝(Milliyet紙)
2006年01月12日付 Milliyet 紙
小泉首相は1985年のイラン・イラク戦争時にテヘランに取り残された日本人をトルコに連れ帰った元機長のオズデミルと面会する。
トルコを訪れている小泉首相は、1985年のイラン・イラク戦争時にテヘランに取り残された日本人を救出したトルコ航空元機長のアリ・オズデミルと、今日面会する。オズデミル機長とコライ・ギョクベルク副機長の英雄伝は、昨年、日本の公共放送であるNHKの「プロジェクトX」という番組で取り上げられた。1985年、日本企業のビジネスマン、技術者、そしてその家族など450人以上の日本人がイランに取り残されていた。この国から脱出するために残された時間は刻々と迫っていた。
■日本の航空会社は飛ばず
他国の航空会社は自国民の救出を優先したため、日本人は脱出できずにいた。当時のイラクの指導者サダム・フセインは、領空を飛ぶ民間機の爆撃を3月19日夜8時半より開始すると警告していた。このため、テヘランの日本大使であった野村豊は、外務省を通じて特別機を飛ばす要請を行った。しかし日本の航空会社はイランとイラクが安全を保証しないまま飛行機を飛ばすことを拒絶していた。期限が迫るなか、200人の日本人は他国の航空会社の飛行機に席を確保した。しかしまだ215人の日本人が残されていた。これを受けて野村大使は、親交の深かったテヘランのトルコ大使イスメト・ビルセルに電話をした。
■オザル首相の「OK」
ビルセルは、連絡を受けたのちすぐにトルコにメッセージを送り、「日本人のためにトルコ航空の特別機を飛ばせないだろうか?」と打診した。この要請は当時のトルコ首相トゥルグト・オザルの耳にも届いた。当時伊藤忠商事のトルコ支社に勤めていた森永尭も、以前から親交のあったオザルに電話をし、救助を要請していた。爆撃開始まであと25時間半という時、野村にビルセルから電話があり、オザル首相の承諾を得て、翌日トルコ航空が日本人のために特別機を飛ばすことが伝えられた。日本人を救助するためにテヘラン空港で待っていたオズデミル機長とギョクベルク副機長には、爆撃の音も聞こえた。トルコ航空機は、襲撃開始まであと3時間というところで飛び立った。そして、オズデミルの「トルコへようこそ」というアナウンスに機内は喜びにつつまれた。
オズデミルとギョクベルクのこの困難な任務は、日本のテレビ番組で取り上げられた。番組のナレーションでは、「これは世紀に一度の国境脱出作戦だった」と伝えられた。その飛行機に乗っていた日本人の思い出なども紹介した番組の中で、オズデミル元機長は「任務を辞退しようなどとは思いもしなかった。トルコ国民として日本人には親近感があった。日本人を愛している。このような任務がまたあれば、喜んでやるだろう」と語っていた。
■「キャーティビム」が好き
日本の小泉純一郎首相は、昨日アンカラにあるトルコ・日本基金文化センターを訪れた。そこでトルコ民族音楽の合唱を聞いた小泉首相は、そのあとステージに上って日本の歌の合唱に加わった。音楽への強い関心で知られる小泉首相は、カーヌーンという民族楽器が、日本の伝統的な楽器に似ていると話した。小泉首相は合唱団に日本では「ウスキュダル※」という名前で知られている「キャーティビム」という曲をリクエストし、一緒に合唱した。日本の折り紙文化を教えるクラスを見学した小泉首相は、子ども達と一緒に鶴を折った。首相公邸で昨日夜、エルドアン首相と夕食をともにした小泉首相のために、トルコの伝統音楽が披露された。演奏家たちの「キャーティビム」の歌を聴いた小泉首相が「この曲を知っている」と言って、一緒に歌を歌ったことが伝えられた。
※故江利チエミが1954年にカバーした「ウスクダラ」という曲のこと。
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( 翻訳者:田林 玲 )
( 記事ID:1701 )