レバノン大統領が国際法廷設置案に異論、多数派勢力が反発(アル・ナハール紙)
2006年10月31日付 Al-Nahar 紙
■ ジュンブラート議員、ラッフード大統領が「黒幕との関与を示すさらなる証拠を示した」とワシントンから非難
■ ラッフード大統領が国際法廷を攻撃、政権の危機を加速
■ 大統領「コメント」、閣僚会議に不信を表明、[ハリーリー元首相暗殺以外の]14件の犯罪を訴追の対象外にと主張
2006年10月31日付アル=ナハール紙(レバノン)HP1面
国際法廷設置の最終段階になってエミール・ラッフード大統領がこれを妨害しようとしていることには誰も驚いていないが、ラッフード大統領は、先制攻撃を行い自らの目標を明らかにするタイミングを早まるという過ちを犯した。彼の目標は国際法廷を挫折させることだけでなく、挙国一致政府の問題をめぐって激化している国内対立と同時にレバノンと国際社会との間の危機を創出することにも向けられている。
何よりもそのことをよく表していたのは、国際法廷設置の計画について非公式的かつ最終版ではない草案に基づいたラッフード大統領の長文にわたるコメントと反対意見を大統領府が急いで公表したことである。本紙の得た情報によると、国際法廷設置計画に関する公式文書は、ちょうど昨夜法務省が受け取ったという。これは、ラッフード大統領のコメント公表の数時間後のことである。
これによってラッフード大統領は、3・14勢力に自らが「二重の動き」を行っていることについての決定的な証拠を提示することになった。つまり、国際法廷設置の妨害を試みつつ、それを通して「国内情勢の激化を試みている」(3・14勢力内の有力指導者筋)ということである。また同筋によるとラッフード大統領は「共和国大統領こそが交渉の権限をもつ者である」との論拠に基づいて国際法廷設置計画に対する非難の口火を切り、何よりもそれまでの自分自身の立場を覆した。何故なら他ならぬラッフード大統領自身が議長を務めた閣僚会議において、シャルル・リズク法相に国連との交渉を委任することと、シュクリー・サーディルおよびラルフ・リヤーシー両裁判官を交渉団のメンバーとして指名することが決定されたからである。レバノン共和国史上、レバノン大統領が交渉を行ったのは2回である。つまり1回目は1957年のアイゼンハワー・ドクトリンに関してであり、これは1958年の諸事件の発生をもたらした。2回目は1969年のことであり、これは15年間にわたる戦争をもたらした。また同筋の見方によれば、ラッフード大統領はどのコメントにおいても正当な法規定に依拠せずに、ロシアが国際法廷設置計画に関して時期的に不適切であるとの見解を示したことを利用しようとしている。この反対意見は、フランスのシラク大統領とロシアのプーチン大統領との昨日午後の協議において強く提示されたものである。また同筋によれば、ラッフード大統領は隠されていたカードを明らかにしたのであり、「国際法廷の設置を遅れさせることによって誰かを守ろうとしており、国内情勢の激化に賭けている」という。また同筋は、「手段はどうであれ国際法廷設置計画が閣僚会議に持ち込まれることを妨害することはできない。それは、大統領の同意の下に採択された閣僚会議の明らかな決議があり、国民対話会議において全会一致で採択され閣僚会議決定によって確定された決議があるからだ」と強調し、「大統領進退問題は、各派の協議の場で提起されるべき優先課題として再び浮上してきた。」と締めくくった。
(後略)
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( 翻訳者:鳥居洋介 )
( 記事ID:3830 )