トルコにとって誇り高き日—パムクのノーベル賞授賞式 (Radikal紙)
2006年12月11日付 Radikal 紙

「スウェーデン・アカデミーの名の下あなたを表彰します。では今年度のノーベル文学賞を国王から授与します。」
世界に向けて、オルハン・パムクのノーベル文学賞受賞を発表したスウェーデン・アカデミーのホーラス・エングダール事務局長は、パムクを舞台の中央に招く際に、上記の言葉をトルコ語で語った。

パムクは国王と同時に歩みでて、舞台の中央にある印のところで国王と向かい合い、賞状とメダルを受け取った。国王と学術委員に挨拶した後、拍手の中、元の位置に戻った。10月12日にノーベル賞受賞者が発表されてから今までの我々の喜びも、このような形で頂点を迎えた。パムクは、我々全員の、文学的審美眼しかり、言語しかり、国民的な誇りしかり、そうした点で大いなる喜びを引き出す、世界で最も名誉な文学賞のメダルを首にかけた。

昨夜(10日)、ストックホルム・コンサート会場は、燕尾服やイブニングドレスを着た男女の選良で埋め尽くされた。グランド・ホテルのロビーからバスやリムジンで式典会場に向かうノーベル賞受賞者やその近親者や新聞記者に、会場で外交官、スウェーデン学術委員も合流し、会場は満席になった。

ノーベル財団のマルクス・シトルフ理事長がノーベル賞の意味や評価基準について話した後、まず初めに物理学賞から授与された。すべての賞の授与の前に、スウェーデン・アカデミーの各分野の委員長が賞を受賞した研究や作品の説明をした。説明はすべてスウェーデン語で行われたが、受賞者を舞台の中央に招く最後の部分は英語で行われた。物理学賞をジョン・マザーとジョージ・スムートが、化学賞をロジャー・コーンバーグが、医学・生理学賞をアンドリュー・ファイアとクレイグ・メローが、経済学賞をエドモンド・フェルプスが受賞した。ノルウェーから授与されるノーベル平和賞は、昨日朝オスロで行われた式典でムハンマド・ユヌスに授与された。

オルハン・パムクには、四番目、フェルプスの前に授与された。式典の重苦しい儀礼に少し飽きた様子で、秘かにいたずらっぽさを見せて、科学者たちの中で自身が芸術家であり周りとは違っているのを感じさせる場面があった。パムクのよき読者であるホーラス・エングダールは、パムクの文学や作家としての特徴を、世界でもよく知られている彼の作品を通じて語った。『イスタンブル』という作品での東洋人にも西洋人にもなりえるという問題を例に挙げながら、パムクが二面的な物の見方を、小説に反映する技法に精通していると述べた。『わたしの名は紅』という作品で語られた方法の問題より、パムクが自身のスタイルを模索しながら作り上げたことを述べた。最も重要な作品として紹介された『黒い本』では、叙述の独自性をイスタンブル(の街自体)が伝えていることを、また、『雪』では、政治と政治が人々の心に及ぼす影響を批判的に取り上げたと述べた。

パムクの作品をわかりやすく要約したエングダールは、「パムク氏!あなたは、イスタンブルを、ドストエフスキーのサンクトペテルブルグ、ジョイスのダブリン、プルーストのパリのような、
不可欠な文学の地にしたのです」と英語で話し、最後はトルコ語で話を終えるというサプライズを用意した。エングダールは、オルハン・パムクの「この賞は、私の人生をささげたトルコ語に与えられたものです」という発言を想起させる態度をとったのだ。ある言語に対する最大の敬意は、その言語を使うことではないか、だからエングダールの最後の一言は、会場のトルコ人をさらに喜ばせた。

■まさに王国風の式典だった
 白い帽子を被り、イブニングドレスや燕尾服を着た学生たちが、ゲストを迎えた。劇場の前の仕切り線の周りに、ノーベル賞受賞者やスウェーデン国王家や社交界の面々を見るため人だかりができた。

 トルコ人新聞記者は、2階の桟敷に座った。パムクの娘や甥やお兄さんは5列目で式典を見ていた。

 舞台の左側にある赤い椅子に受賞者、右側には金色の椅子には国王一家が座った。舞台の後部の椅子には、スウェーデン・アカデミーのメンバーと過去のノーベル賞受賞者が座った。

 オルハン・パムク以外の受賞者は全員アメリカ人だった。
 
 モーツァルトのニ長調のマーチが流れる中、若い女性のエスコートで受賞者は一列に並んで舞台に上がり、席に着いた。各受賞者のスピーチの後には、舞台上のオーケストラが短く曲を演奏した。

 受賞者は、自分の名前が呼ばれると立ち上がり、中央に招かれると、舞台中央のNという文字の上で国王と向かい合った。ノーベル賞を授与した後、僅かに後ろに下がった国王、学術委員、観客に受賞者は頭を下げあいさつした。

 夜の晩餐会ではパムクの横にクリスティーナ王女、向かいにはカール・フィリップ王子が座った。スウェーデンの新聞によると、ヴィクトリア王女はお気に入りの作家の横に座りたかったが、しきたりで禁止されていた。食事は22:30に終わり、ダンスが始まった。23:30には王国風の伝統(である行事)は終わりを迎え、それぞれ別の場所で夜中まで続くパーティーが始まった。




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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:4098 )