ムハンマド・サーディク・アル=サドル氏8回忌(サバーフ・ジャディード紙)
2006年12月01日付 al-Sabah al-Jadid 紙

■ ムハンマド・サーディク・アル=サドル氏と2人の息子の8回忌を記念し各地で式典やパレード

2006年12月01日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP1面

【ナジャフ、ミーサーン:イラクの声】

1999年2月19日(ヒジュラ暦1419年ズールカアダ月4日)に暗殺されたムハンマド・ムハンマド・サーディク・アル=サドル氏と彼の二人の息子の8回忌を記念したパレードが日曜の朝、ナジャフで行われ、サドル派の支持者数百人が参加した。またミーサーンにおいてもこの忌日を記念したセレモニーや追悼のパレードが行われた。故サドル氏の支持者達は、彼と2人の息子ムスタファーとムアンマルの暗殺に、イラクの前政権が関わっているとの疑いを持っている。

パレードはナジャフ市の北にあるアル=ザフラー・モスクから出発し、3人が暗殺された場所を通って、ハナーナ地区にあるムクタダー・アル=サドル師の自宅、イマーム・アリー・ビン・アブー・ターリブの廟を通った後、故サドル氏の墓のある墓地へと向かいそこで追悼式典を行った。

ズールカアダ月が始まって以来今日まで、ナジャフの各地で追悼集会が行われており、ナジャフでは治安措置が強化され、治安部隊の広範な展開とハナーナ地区および旧市街へと至る道路の封鎖が行われた。また土曜日以降イラクの各地、特に南部から年に一度ナジャフで行われる記念セレモニーに参加すべく数百人のサドル派の支持者達がナジャフを訪れた。

故サドル氏の事務所の広報官は「ムクタダー・アル=サドル師はあらゆる派閥や志向の神学生たちに対し、ハナーナの彼の自宅で開かれる追悼集会への出席を呼びかけた」と述べた。

またミーサーン県においても故サドル氏の暗殺記念日にちなむ複数のセレモニーが行われ、アマーラ市では数十のパレードが町中を練り歩いた。マイサーン県の庁舎でも記念式典が開かれ、「解放、信仰と優れた道徳という武器による前政権との対決、国民の利益のために真摯に働き己に打ち克つといった精神を広めたことにおける故サドル氏の役割を確認する内容のスピーチが述べられた。また同式典の中でミーサーン県議会議長であるアブドゥルジャッバール・ワヒード・ハミーディ・アル=アキーリー氏は「故サドル氏は全てのイラク国民の間に統合と協調を呼びかけることによって、イラク国民の魂の中にある解放の精神に火をつけることに貢献した」と述べた。

故サドル氏は1943年(ヒジュラ暦1362年)にナジャフで生まれた。彼の家系はイマーム・ムーサー・ブン・ジャアファルにまでさかのぼることができる。彼はイスマーイール(サドル家の名は彼にちなんでつけられたものである)の息子のムハンマド・マフディーの息子のムハンマド・サーディクの息子のムハンマドである。また彼の寛容さは母方の祖父ムハンマド・リダー・アール・ヤースィーン、父ムハンマド・サーディク・アル=サドルなど、何人もの学者を輩出したことで知られる学問的な家柄により培われたものだった。
(後略)


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( 翻訳者:垣平浩明 )
( 記事ID:4128 )