オスマン朝スルタン・アブデュルメジトのひ孫、ロンドンで死去(Milliyet紙)
2006年12月24日付 Milliyet 紙

 13歳のときにトルコを離れた、スルタン・アブデュルメジトのひ孫であるフェトヒ・サーミー氏がイギリスで97年の生涯を閉じた。

スルタン・アブデュルメジトの孫、スルタンザーデ・アブドゥッラフマーン・サーミー・ネジップの息子であるフェトヒ・サーミー氏が、入院していたイギリスのオックスフォード市内の病院で死去した。

ロンドン近郊に在住していた97歳のベイザーデ・フェトヒ・サーミー(イスタンブル、バルタリマン出身)氏は心臓病のためオックスフォードのラドクリフ病院に入院していたが、金曜(22日)の深夜2時に息を引きとった。イギリスに住む娘のレイラ・メディハさんによると、ロンドン近郊のブルックウッド霊園に埋葬されるという。

フェトヒ・サーミー氏は、スルタン・アブデュルメジトの娘であり、同時にスルタン・アブデュルハミト(2世)、スルタン・ムラト(5世)、スルタン・レシャット(メフメト5世)、スルタン・ヴァフデッティン(メフメト6世)(とスルタン位に即いた4兄弟)の姉妹であるメディハ・スルタン(の子孫であり)、彼女の息子サーミー・ネジップ氏の5人息子の一人であった。

サーミー氏は家族とともに1922年9月22日にトルコを追放された。当初フランスに居住したが、1940年にイギリスに移り住んだ。フランス人のフランス・マリー・アンドレ・スーさんと結婚していた。オスマン王家に適用された帰国禁止令が解かれたため、13歳のときにトルコを離れてから、53年後に初めてトルコを訪れている。




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( 翻訳者:湯澤芙美 )
( 記事ID:4204 )