作家オルハン・パムク、不起訴へ(Milliyet紙)
2006年01月23日付 Milliyet 紙

トルコとEUの関係に緊張をもたらすこととなった作家オルハン・パムクの「国家侮辱」裁判が取り下げられた。

スイスの『ターゲス・アンツァイガー紙』(2005年2月6日付)に掲載されたルポルタージュの中でパムクは、「この土地で3万人のクルド人と百万人のアルメニア人が殺された。私のほかに誰もこのことに言及する勇気がなかった。」と述べたのだ。これがトルコ刑法第301条に違反するとして、この作家は「国家侮辱」のかどで起訴された。禁固3年が求刑されたパムク氏は、検察調書のなかで「私はトルコ人である。そしてこのことに誇りを感じている。」と供述したのだった。

2005年2月に本件に関する捜査が始められた。シシュリ検察庁は、2005年5月17日にパムクに対する取調べ許可を求めた。旧トルコ刑法第159条によると、法務省の許可なくして「国家侮辱」罪で裁判をおこすことはできない。このため検察庁は、法務省からの回答が出るまで取り調べを凍結した。

待望の回答は、新トルコ刑法施行後の2005年6月8日に法務省から出された。法務省は、新トルコ刑法第301条で起訴するために同省の許可は必要ないこと、また(新刑法施行後なので)同省には既に許可を与える権限がないことを検察庁側に伝えた。これを受けてシシュリ検察庁は、2005年6月30日にパムク氏を起訴した。そしてこの裁判はEUの大きな反発の原因となった。


■再度の許可申請
シシュリ第2初級刑罰裁判所は、12月の初公判前、法務省に再度許可を申請した。チチェキ法相は2005年12月17日に法務省に届いた許可申請書を自ら目を通すと述べた。

最高裁判所第9刑罰局は、これらが起こっている同時期にパムク裁判の難題を解決しうる決定に署名した。2005年12月27日、第9刑罰局はパムクのように旧トルコ刑法が有効であった期間に「国家侮辱」罪を犯した容疑者に対して、新トルコ刑法施行後にどう対応するかについての決定を行った。その内容は、法務省からの許可を条件にすることが容疑者の利益になるとし、法務省の許可なくして裁判にかけることは出来ないという決定を下した。


■裁判は終了
チチェキ法務大臣は本件許可申請に対して、2006年1月13日に回答した。チチェキ法相は、前述の最高裁の決定にもかかわらず、以前と同じ論理を繰り返した。そして新トルコ刑法に従って、すでに法務省には許可を与える権限がないと回答した。しかし、以前、チチェキ法相の許可権限なしの回答に対して、パムクを起訴したシシュリ検察庁と起訴状を承認したシシュリ第2初級刑罰裁判所は、最高裁の決定後、態度を一変させた。シシュリ第2初級刑罰裁判所は、検察庁の見解にも従い、法務省からの「許可を与える権限なし」という回答を、「許可が下されなかった。」と解釈した。そしてシシュリ第2初級刑罰裁判所は最高裁の決定に従い、法務省から送られてきた書類に許可書がなかったことから起訴は不可能とし、チチェキ法相が回答を送った2006年1月13日付けで起訴を取り下げた。このようにしてパムク裁判は完全に終了した。


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( 翻訳者:堀ノ内 夏子 )
( 記事ID:1764 )