アイドゥン国相、宗務庁の見解を支持 -スカーフなし、男女混合の礼拝は不適切(Milliyet紙)
2006年01月26日付 Milliyet 紙

宗務庁担当大臣アイドゥン国相は、逝去したコソヴォ大統領のイブラヒム・ルゴヴァの葬式に参列するために(コソヴォ首都の)プリシュティナに向かう道中、アタテュルク空港のVIPルームにおいて、男性と並んで礼拝を行った女性グループに関しての議論に見解を示した。

■概要は聞いていた
実生活に影響するような、(宗教の実生活への)実践の問題については、一人の哲学者としても政治家としても口を閉ざしてきたアイドゥンだが、この問題に関しても宗務庁に任せると言っていた。
「宗務庁はこの問題に既に見解を発表している」と述べたアイドゥンは次のように続けた。
「葬式参列のために私はプリシュティナへ発つ。宗務庁長官もマケドニアでのプログラムに参加するために発つところである。彼は私にはあらかじめ、問題についての概要を教えてくれた。簡単に説明しよう。今日政治に携わるまで、実生活上の実践の問題に私は全く立ち入らないできた。宗教上許されることでもない。この問題に私が政治家として立ち入ることは決して正しいことでもない。しかし私は宗務庁担当大臣である。宗務庁の見解は、すなわち私の見解ということにもなる。つまり、宗務庁が判断したということだ。」

■文化的・歴史的問題
このように、宗教的問題を判断するには十分な知識を持っていることが必要であると言うアイドゥン国相は、次のように続けた。
「この問題は、コーランに始まる歴史の推移をとらえるような広い視野を持って考えることが必要である。一般的に、宗教的な問題は同時に文化的・歴史的問題でありうる。こういったつながりから、考えることが必要だ。宗務庁の見解が正しいものであると信じている。
一人の信仰ある人間であり政治家として私が述べてきたように、政府としては、宗教と良心の自由の問題に対する、世俗主義のありとあらゆる細かい要請にも注意を払っている状態だ。しかし、礼拝や宗教の実践において差異があれば、その差異を正しく判断するのが宗務庁の任務である。宗務庁は、(現在議論となっている)礼拝についての解釈は、これまでのイスラム体系上正しくないと主張している。

■宗務庁は「不適切」と述べた
宗務庁が行った会見では、「礼拝の形態とルールに関して議論することや異なる方法を生み出そうとすることは宗教的に受け入れ難いものであるとともに、誰にとっても益することはない」と述べた。
会見では、「女性が男性と異なる場所で礼拝を行うというルールを、女性に敵対的な決まりなどと解釈することは、宗教の個人的・集団的・普遍的な目的に対する無知からくる誤りだ」と述べた。


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( 翻訳者:田林 玲 )
( 記事ID:1777 )