AKP議員からショッキングな発言「裁判官はコーランを参照すべき」(Milliyet紙)
2006年02月16日付 Milliyet 紙

 神学部出身のAKP所属議員メフメト・チチェキは、通勤時にスカーフをかぶっていた教師が、任命されていた幼稚園の園長職を解任されたことについて、世俗主義に照らして妥当であると表明した行政裁判所(※1)を批判した。その際に、かつてイスラーム主義者たちが強く主張していた複数法社会を想起させるような発言をし、注目を集めている。

 チチェキはイスラームを人生のあらゆる局面で生かすべきであるとし、「裁判官も、決定を下す前にまずは『宗教上はどうなのか』とコーランの文章を参照すべきだ」と述べた。
 村の宗教行事を司る「ムフティー」職を持ち、宗務庁副長官でもあるAKPのチチェキ議員は、昨日朝のスターTVの番組で次のように発言した。

■アッラーと法律のはざまで
・アッラーの命令、法律の命令:裁判所の下した決定のせいで(※2)ヨーロッパ各地で発生している間違った行為が、トルコでも起こりかねない。トルコ社会は、アッラーと法律のはざまで、そしてアッラーの命令と法律の命令のはざまで、板ばさみにされるべきではない。
・コーランを参照すべき:公共の場とは何を意味しているのか?イスラームは、宗教を人生のあらゆる局面で生かすべきと定める宗教である。失礼ながら、トイレでどうするべきかまでも明らかにし、ルール付けている。裁判官も決定を下す前にまずはコーランの文章を参照すべきである。では、コーランの文言を実施すべき局面とはどのようなものか。

 今回の件は宗教的な問題なのだから、コーランを参照すべきだ。宗教的な問題であれば、裁判官はもちろん「私がこの決定を下したとしたら、結果としてどうなるのか」とコーランを参照すべきなのである。道徳的な問題であれば、道徳的な価値観に照らして考えるべきである。スカーフをスカーフ(başörtüsü)と呼ぶ者もいれば、イスラム風スカーフ(türban)と呼ぶ者もいる。きつきつ頭と呼ぶ者もいれば、たまねぎ頭、にんにく頭と呼ぶ者もいるのだ。

 このように、宗教問題はなんともおかしな展開になってきている。もはや「この問題は一体、宗教的にはどうなのか」という観点で決定しなければならない。宗教の依拠するところはコーランであり、個人ではないのだ。

■金曜礼拝をなくすと言ったら・・・?
・スカーフ問題は宗務庁が決定を下す:トルコは民主的な世俗主義的国家である。宗務庁は合憲的な組織である。スカーフに関する問題に決定を下し、何が宗教的で何が宗教的ではないのかを決めるのは宗務庁の役割である。
・金曜礼拝をなくしたら?:さて明日、裁判所で「1日5回の礼拝を1回にしました。金曜礼拝は廃止です」と言ったら?そんなことでよいのか?
・家庭内の問題にまで口を出すことに:さて、この考えによれば、通りでは教師は学生の模範にならなければならない。その学生たちが教師の家を訪れる場合、家にいるときの服装も、裁判所が決めるのだろうか?

 チチェキは、この件に関するミッリイェト紙の質問状に対して、「反論はしません。ノーコメントです」という答えだけを返してきた。


※1→参照2月9日の記事http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News200629_1870.html

※2→欧州人権裁判所が公共の場でスカーフをかぶることを認めない結論にいたったこと、フランスでは公共の場でスカーフをかぶることが禁止されていることなどを揶揄しているかと思われる。


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( 翻訳者:田林 玲 )
( 記事ID:1909 )