小泉首相訪問が日本人救出したパイロットの友情裂くことに! 本紙が仲裁し誤解解消へ(Milliyet紙)
2006年02月02日付 Milliyet 紙
日本のドキュメンタリー番組で、 1985年のイラン・イラク戦争時に215人の日本人を1人で救出したかのように描かれたトルコ航空元第二パイロットのアリ・オズデミルを日本の小泉首相が訪問すると、第一パイロットであったオルハン・スヨルジュとの55年間に渡る友情に亀裂が入った。しかし本紙記者が仲裁に。
すべては2年前に始まった。1985年に当時のイラク指導者サダム・フセインがテヘランにミサイル攻撃を行うと警告する中、テヘラン空港に残された215人の日本人を救出したトルコ航空の元パイロットを撮影するため、日本のドキュメンタリー制作チームがトルコにやって来た。しかし制作チームはそのトルコ航空機の第一パイロットであったスヨルジュではなく、第二パイロットであったオズデミルを撮影した。そして今回、日本の小泉首相のトルコ訪問が問題を大きくした。小泉首相はドキュメンタリー番組に影響されオズデミルだけに感謝を述べ、オズデミルとスヨルジュの55年に渡る友情の溝を深めた。小泉首相の訪問後疎遠になっていた2人を、本紙が仲裁した。
事件の続きをスヨルジュが説明した。「2年前ドキュメンタリー撮影の準備をしながら制作チームは私を探していたが、私はその時ボドルムにいた。10月に戻ると話した。戻った後、ある日オズデミルが私に電話をかけてきた。ドキュメンタリーを撮影する日本の制作チームが彼の家に来ていると言って、私も招待された。私が到着したとき、アリは制作チームに救出フライトを行ったメンバーのリストを見せていた。しかし彼らはあまり関心を持っていなかった。制作チームはオズデミルが唯一のヒーローであるかのように接していた。私はこの救出フライトがチームプレイだったことを話したが、注目されないと分かると家に帰ったよ。」
■「どうして話さなかったのか」
日本で放送されたドキュメンタリー番組に影響された小泉首相も、犠牲祭の時期にトルコを訪問した際、唯一のヒーローとして描かれていたオズデミルと会い、感謝を述べた。この訪問の後第一パイロットだったスヨルジュは受話器を握り締め、親友のオズデミルに電話をかけた。「アリ、テヘランには神風特攻隊のようにたった1人で向かったのかい? あれはチームプレイだったと何故言わなかった? 今後も成功することを祈っているよ」と話し、電話を切った。これが2人の最後の連絡となった。その後事件の真相を説明する手紙を書き、日本領事館に送った。
■「親友だった」
本紙記者は事件の詳細を聞く為、まずスヨルジュのところに向かった。スヨルジュはドキュメンタリー制作チームの中途半端な仕事のせいで問題がここまでこじれたと話した。更に「私はアリより4歳年上だ。55年にも渡る友情がある。昔から散歩をしていたよ。これまでも散歩をしながら、心から話したよ。でもこの事件が私たちの関係を変えてしまった。」と話した。
■「私に罪はない」
我々がオズデミルを訪ねていくと、「私はドキュメンタリーを撮影する制作チームに救出フライトチームのリストを見せたが、彼らはそれを番組に取り入れなった。これに関して私に罪はない」と話した。唯一のヒーローであるかの様に描かれたオズデミルは、インタビューの後となりのアパートに住んでいるスヨルジュの家に一緒に行きましょうという誘いを受けてくれた。
約1ヶ月ぶりに再会した親友同士は、懐かしそうだった。オズデミルは「君を考えない日はなかったよ、兄弟」と言って、スヨルジュを抱きしめた。
本紙記者がこの2人と別れる際、2人は「誤解を解いてくれてありがとう」と言っていた。
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:住永 千裕 )
( 記事ID:1824 )