家族への殺傷事件が急増 ハムシャフリー紙
2006年03月01日付 Hamshahri 紙

2006年3月1日付ハムシャフリー紙

【モハンマド・アリー・ジェダーリー=フォルーギー(弁護士)】約30年前、ある男が妻と子供、そして兄弟を殺害した。当時、犯罪の世界に起きた新たな事象として、司法や犯罪学の専門家らの間で注目を集めたものである。この事件の裁判は、混乱のうちに大法廷で開かれ、何百人もの傍聴人が集まった。私は裁判の中で、何とか罪を逃れようと、狂人であることを装っている被告を目撃した。被告は「法廷の神聖なる御前で(sāhat-e moqaddas)」と言うべきところを、「神聖なる時間(sā‘at-e moqaddas)」と言い間違えるなどして、正常に思考能力が働かない状態であることをアピールしたのであった。もちろん、被告も死刑に処せられるのを予期しており、実際その通りになった。ともあれ、明らかだったのは、当時家族を殺すような犯罪は滅多になく、この事件は人々の驚きと悲しみを誘っていた、という事実である。

 3人の成人した子供をもつある女性が、夫と23年間連れ添った後、凶器を手にした夫によって脅迫を受ける、という事件が発生した。それを知った子供の一人が警察に110番通報したことで明るみになった。警察は凶器を発見、夫を署に連行した。調書が取られ、その後双方が検察に出頭、その後罪が認定され、起訴状が読み上げられ、裁判が行われ、刑が言い渡された。しかし、これで終わりではなかった。過ちを犯した夫との生活に耐えられなくなった妻は、23年間の結婚生活にピリオドを打つことにした。夫の家を出、父親の家に逃げた。子供の命に危険が及ぶのではないかと心配にはなったが、離婚を求めざるを得なかった。婚資金その他の権利を手放すことで、夫の暴力に怯える地獄のような生活から解放されることに、希望を託したのであった。恐らく、23年もの間結婚生活を続けた彼女にとって、これは賢明な選択だった。

 最近の新聞の事件面を見ると、多くの殺人事件が、家庭という環境の中で発生していることが分かる。3歳の幼児が父親、それも医者である父親によって殺害されるという事件、相続争いのために家族が皆殺しにされるという事件、子供によって母親が殺されるという事件、などが発生している。

 われわれは目を見開いて、現実を直視しなければならない。そして他の対策を考える必要がある。単に殺害犯を逮捕し、裁判にかけ、罰を与えるだけでは、社会の安寧は望めない。犯罪学、社会学、心理学、社会を構成するさまざまな階層の心理分析など、あらゆる方面から研究を行い、犯罪の根源、原因、要因を見出し、また統計データなどを集めることで、社会の現状について早急に検討する必要がある。現在、事件の喧騒の中で、精神的価値が社会において衰えつつあるのだ。

 離婚や不和、家族の崩壊、社会の根本的単位であるところの家族という土台の弱体化、見栄っ張りな競争心、過大な要求、抑制や正しい徳育の欠如、子供の放任など、その他多くの要因が、家庭内で毎日のように発生する無数の犯罪の原因となっている。

 凶器は「熱い」か「冷たい」か、狩猟用の銃が使われたのか、台所用の包丁が使われたのか、というようなことを調査したところで、ここでは何の役にも立たない。死刑や同害報復刑、あるいは懲役100年などの重い刑罰を用意しても、問題の解決にはならない。専門家、研究者、関係者らは問題のあらゆる面を研究した上で、解決への道を探る必要がある。そのためには、マス・メディアの役割も決定的に重要である。

 警鐘はすでに鳴っている。社会の健全さを守り、健全で安心できる生活を全ての人に提供するためには、この危険を知らせる鐘の音に耳を傾けなくてはならない。この鐘の音はすでに警告を発しているのだ。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:1991 )