エルバカン元首相のメッカ巡礼裏事情(Milliyet紙)
2006年03月31日付 Milliyet 紙

元福祉党副党首であり法務大臣であったカザンは、著書の中で、エルバカン元首相が(1997年の)「2月28日過程」(訳注)の圧力に苦悩したため、メッカ巡礼を行ったことを明らかにした。

福祉党・正道党連立政権の法務大臣だったシェヴケト・カザンは、福祉党が閉鎖された際に重要な役割を演じたジェマート(宗教的グループ)のリーダーたちに、首相官邸でのイフタール(断食明けの食事)への出席を9年後の今年許可した。カザンは新刊の『福祉党の真実4』という著書で、1997年のイフタールに、数にして10名を超えないジェマートのリーダーたちが出席していたと説明した。
福祉党政権は、憲法裁判所で述べた口頭陳述で、イフタールへ出席した人々を「宗務庁の職員、神学部部長と教授、それだけである」と述べていた。

カザンは、福祉党・正道党連立政権期に多くの議論がなされた「ネジメッティン・エルバカン首相が、国会議員たちと飛行機でメッカ巡礼を行った」事件を、連立パートナーのタンス・チルレルに関係があるとして、次のように擁護している。
「人間は精神的に逼迫した時は、必然的に精神的な平安を求めようとするものである。トルコでは、2月28日過程の風当たりが続いており、政府に対して考えられないようなごまかしが横行していた。また、国家安全保障評議会で決議されなかったにも関わらず、8年一貫の義務教育を実行に移すために、タンス・チルレルも含め内部から政府に圧力をかけていた。そのような状況にあった一人の人間として意気消沈したエルバカン氏は、家族とともにメッカ巡礼を行うことを決意した。皆それぞれ分担金を支払って飛行機を手配し、エルバカンは家族と、5名の大臣、50名ほどの国会議員を伴って出発したのである。」

■カダフィは悲惨だった
カザンは、エルバカンのリビア訪問に関して次のように記している。
「トルコのゼネコンが債権徴収を強く要求したため、アフリカ外交プログラムに含まれることになったリビアにおいて、エルバカンがカダフィとの共同記者会見の際に直面した現実は、確かに悲惨であった。しかし事件はそこで発表された原稿によって訂正されていたのだ。」


訳注:
1997 年2月28日、国家安全保障議会にて当時連立政権の首班であった福祉党を、民主的、世俗的、法治国家であるトルコ共和国にとっての「反動勢力」「脅威」と見なし、国家による宗教管理体制の引き締めを図る措置が決議された。「2月28日過程」とは、この前後の期間に行われた世俗主義勢力による一連のイスラーム勢力への弾圧・対抗措置をさす呼称とされる。
現代トルコ政治では、同年6月、連立維持に反対する正道党議員の離党に伴い連立政権が崩壊、翌98年 1月、福祉党が非合法化されるなど、結果として軍部の政権奪取を伴わない一種のクーデターとしても捉えられ、以降その影響は軍や司法、教育、メディアなど多方面に及んだ。


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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:2144 )