最高裁長官ヌーリー・オク、政府・議会・法務省を厳しく批判(Hurriyet紙)
2006年04月08日付 Hurriyet 紙
ヌーリ・オク最高裁判所長官は、長官就任15周年記念に行った演説で、政府、議会および法務省を‘司法に干渉している’として非難した。
本紙に対し「そろそろ、イスラム法官の格好をさせられそうだ。」と述べたオク氏は、まず司法に関わる人々と連携体制を作り、司法独立のため率先的役割を果たしていこうと呼びかけた。オク氏の演説は、まとめると以下の通りである。
■取調べの許可なし
公式の取調べのため各省庁に送付された質問項目は58だ。そのうち53項目は各大臣から許可を得られなかった。残り5項目についてはいまだ返事が来ていない。(オク氏は、大臣が取り調べを許可せずにいることで、司法を妨害していると不満を述べた。)
■法務省が影響を及ぼした
法務省が司法に関わるあらゆる事物に対し支配的な影をもたらし、近年稀に見るほどの影響を及ぼしていることは否めない。高等委員会がこの影を消滅させ、省からの独立性を確保することが肝要だ。
■独立すべき
裁判の独立性について述べるには、高等委員会が独立していなければならない。同委員会は、裁判官や検察官に信頼を置くことができず、あらゆる権力から彼らを保護することにも失敗し、緊縮財政と選り好みについて常に批判を受けている。こうした機関が独立しているとは言えない。
■組織化すべき
裁判官と検察官が法務省からの口出しを受け入れざるを得ない状況は、政治的影響力の強まりへの根本的要因の一つだ。これまでも現在も組織化されているとは言えない高等委員会は、将来に向けて備え、勝利するために組織化しなければならない。
■政治が司法に
司法において、修習から始まり、辞令、昇進、異動、そして人事業務の中で重要な役割を果たしている政治が、世間の最大の関心事について裁判官に対し公然と起訴取り下げを指示しているというのは悲しむべきことだ。政治的影響力の強まりに対し無防備な現行の制度のままこうした行為の終結を望むのは、空虚な楽観主義というものだろう。(チチェキ法務省長官が、シェムディンリ事件の起訴取り下げへの道は開かれていると述べたことを示している。)
■国家の司法長官
近隣諸国やヨーロッパに以前から存在し、その絶対的必要性が確立している共和国国家の検事総長の名前すら思い出されないのは、我が国にとって一つの喪失だ。こうした傾向の真の理由は、明らかに、中央司法機関から切り離された検察当局に対し、政治権力が影響力を働かせる機会を失っていないことにある。
■精神性の改革
司法における改革は必ずや、そして急速に行わなければならない。このためにはまず精神性の改革が必要であることが認識されるべきだ。司法も政治も双方が、法律および司法の義務が何であるかを押さえるべきだ。
■干渉を許す制度
ヨーロッパ連合(EU)が強力に薦めているにもかかわらず、司法の改革には着手さえされていない。これは、政権自身が、つまり干渉と政治的影響力の強まりに対し脆弱な制度の継続を望んでいるということを示している。
■首相に対する起訴
検事総長の政権との関係及び、我が国の法律に存在しない尋問と起訴要望については、政党法第99条、第100条が定める制度の抜本的な改正が可能である。
■憲法改正
憲法改正草案では、司法の独立性を大きく傷つける政治関係者とその味方である官僚をHSYK(検察・裁判官高等委員会)から追放することと並び、高等委員会委員をトルコ大国民議会が選出することが盛り込まれている。また、議会に対し、憲法裁判所メンバーを選ぶ権利も付与されている。
■起訴は容疑者に制限
司法機関が政治権力に近く見えるというだけで、公正さは傷つく。公正さはどんな疑いも想起させず、そうした痕跡を残すことは許されない。起訴状では、容疑を決定付ける表現を避けなければならない。司法とそれを支える機関は、違法の証拠が使われたり、検証されることに細心の注意を払わねばならない。これに反する行為は疑念を生み、疑念を払う役目を担う司法は、正当な批判の対象となる。検察官は、基本任務の中で最も重要な場所である社会の名の下、公共の利益のために行動し、任務を公正に、中立的立場で、一貫性を持たせ、独立した形で遂行せねばならず、これを忘れてはならない。そもそも、こうした行動様式は法律の期待するところだ。(フェルハット・サルカヤ検察官が行ったシェムディンリ事件起訴で、ヤシャル・ビュユクアヌト大将に対しかけられた容疑を指している。)起訴状において、容疑は判決が求められる容疑者にのみ限定してかけられる。規程では、弁護士を雇うことができず、そのため裁判を開くことができない容疑者については、起訴事実にある罪を犯した証拠がある場合、立証のみすることができる。
■DTP(民主市民党)閉鎖警告
政治組織は、各種団体や類似組織のように民族主義を目的としてはならない。今の時代、現代の地理、気候において存在してはならない民族主義は、暴力やテロに対する賞賛だ。分離主義的、民族的暴力やテロを基盤にし、テロとテロリストを支える者や、破壊的民族的テロリストを抱える政党にではなく、トルコに対して、いかなる国の民主主義もいつまでも寛容ではいないし、彼らが長期間生き延びる機会も与えることはできない。
■シェムディンリ委員会は間違っている
憲法第138条には、法治国家の原則と公正な判決への影響力の行使の禁止が記されている。にもかかわらず、司法にゆだねられた事件において議会の調査が行われることの誤りを特に強調したい。さらにそこで用いられている表現が司法文書に同時に記載されていることは不安をかきたてる。
■宗教結社が根付いた
無知と貧困の原因は、現代教育から離れていることにある。部分的にではあっても独断とイデオロギーを含む教育は、ただただ狂信的行為と原理主義に繋がっていく。これも分裂と緊張、争いということだ。宗教結社や、信徒団が根付き、宗教指導者が影響力を増す社会は、現代的・近代的社会にはなりえない。こうした社会状況の下、共和国の原則のうち絶対的重要性を持つ世俗主義を保護するこが不可能なのも明らかだ。なぜならシャリーア法典を法規としようとする人々の脅威に対し、社会の安全性が弱まっているからだ。共和国は保守反動主義を拒否した。今日も明日も道は譲れない。世俗主義とは、国家が宗教に対し中立的立場をとり、公平な距離を保つことを要求する。さらには、国家の宣教活動も決して許さない。
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( 翻訳者:倉本さをり )
( 記事ID:2168 )