2006年のミス・トルコはこんな人(Milliyet紙)
2006年05月03日付 Milliyet 紙

彼女は月曜の夜半まで、アンカラでモデルの仕事をしている高校生にすぎなかった。今ではトルコで最も美しい女性だ。18歳未満であったため家族の承諾のもとコンテストに参加したメルヴェ・ビュユクサラチは、スターテレビ主催のミス・トルココンテストで優勝する栄誉に恵まれた。私立アンカラトルコ教育協会高校3年生のビュユクサラチは、今の思いを本紙に語った。

―まだあなたが9ヶ月の頃に、親しい先生はあなたがミス・トルコになるだろうと言われたそうですね。あなたの運命が前々から準備されていたことについてどう思います?

「母は私が小さかったときから、トゥライ・クラル先生のこの言葉を繰り返し言ってきかせてたわ。私が9ヶ月の頃にトゥライ先生は、私が2005年のミス・トルコになるだろうと言ったんだけれど、実際は2006年のミスになったわ。周囲の人はずっとコンテストに参加するよう私に言い続けてた。学校の友人みんながコンテストを見に来てくれたわ。朝、校長から母に電話があって、コンテストのことで書類を受け取ってしまって。いまは帰って、学校を続けるつもり。授業が楽しいから。」

■「審査委員が合図してくれたの」
―コンテストに通るか不安でしたか?

「もちろん。最初10人が選ばれるとき、私は控え室にいたわ。そして最後の2人が残った。最後から2番目に私の名前がアナウンスされたの。でも、その前から落とされると思っていたわ。選考の間、私が一番若い出場者だったから、他の娘たちが私に向かって「絶対あなたは選ばれないわ」といっていたもの。でも、彼女たちが何を話してこようと私は気にかけなかった。3位の娘が発表されたとき、審査委員と目があったの。すると彼らは「君が一番だよ」って手振りで教えてくれたの。発表の前に優勝したことが分かったから気が楽になったわ。」

―ふつうミス・トルコの冠をかぶせてもらうとき泣く人が多いのですが、あなたにはこうした感情は起きなかったようですね、なぜです?

「(泣き出すことは)覚悟していたんだけれど、結果としてミス・トルコになって、こんなすばらしい夜になぜ泣くの?笑わなきゃって思った。だから、笑顔になったの。」

■美術を学びたい
―コンテストの後、以前ステージを経験したことがあるといいましたね。どこのエージェントに所属して働いていたのですか?

「アンカラのディデル・シャーヒン・エージェンシーに所属して働いていたんだけれど、コンテストの夜ウルカン・エレズ(訳者註;大手のモデル事務所社長)さんが、ディデル・シャーヒンさんと話していたわ。これからはウルカンさんと働くことになるわね。この1年アンカラでファッションショーに出ているの。大学へ行く準備もしてるわ。ミーマール・スィナン大学の美術学部工業デザイン学科へ行きたいの。モデルも続けていくつもりよ。」

―お父さんのオルハン・ビュユクサラチさんは、あなたがコンテストに出ることをそれほど望んではいなかったそうですね、このことはあなたにどんな影響を与えていますか?
「母と父は約9年前に離婚したんだけれど、とても仲はいいの。父は今でも私たちのところに来て夕食をとるくらいよ。コンテストが終わってすぐ母と一緒に父に電話したの。父も喜んで見ていてくれたみたい。」


■記者になぜ怒った?
―お母さんと23歳のお兄さんはアンタリヤにいて、お父さんはアンカラ。そしてあなたは大学のためにイスタンブルに行くんですよね?

「そうです、でもイスタンブルは少し怖いわ。アンカラは気に入ってるし、静かな街よね。イスタンブルは、みんなお互いを蹴落としてるようなところよ。そこでやっていけるかしらね。でも私だって一人の大人よ。やるべき事をちゃんとこなせば必ずうまくいくわ。できれば私もアズラ・アクンのようにトルコへミス・ユニバースの冠をもう一度持ってきたいものだわ。」

―恋人はいるんですかと質問した記者に、あなたは「プライバシーに関することは聞かないで」と怒りましたね。なぜです?

「プライベートな事は話したくないの。他人のプライバシーにも興味ないわ。私のプライバシーにだって誰も関心を持たないと思うわ。」



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( 翻訳者:塚田真裕 )
( 記事ID:2340 )