父は暴力をふるう人だった -タルカン、子供時代を語る(Hurriyet紙)
2006年06月29日付 Hurriyet 紙

タルカンはtakvim紙面で、子供時代に父親から虐待を受けていたことを告白した。

■父の愛をねだった
私たちは悲惨な子供時代を送った。ドイツに移住した家族―6人の子供―の生活は戦いだった。父はよく怒鳴り、ケンカをした。私たちは虐待もよく受けた。しかし父はいい男だった。とても正直だった。手本にしているところがたくさんある。しかし、喜びを口に出さなかった。だから、私たちは愛情のおねだりをした。キスして、撫でて、感じさせて(と言って愛情をねだった)。(父に対して)ずっと腹を立てていた。最近、怒りがようやくおさまってきたところだ。

■怒りがようやくおさまった
甘ったれないように、と(父は)あんな振る舞いをしていたのだろうか、私にはわからないが・・・父は感傷的な青年だったがそれを表に出せなかった。なんておかしいんだ。今日父がこの場にいれば絶対尋ねただろうがそれはできないことだ。だから私は父が他界した後、一時彼を憎んだよ。イスタンブルにいた時、突然父が「村に行こう」と言った。「私を母のそばに埋葬してくれ」と言って・・・それから一ヵ月後に死んだんだ。

■我々を残して逝ってしまった
父はちょうどこれから楽になるというところだった、がそうならなかった。一人で死んだ父を悔やむよ。49歳だったんだ。人生はまだまだこれからだったのに。父は長年働き、病気になった。だから僕はリゼに行くと変な気分になるんだ。ステージで父を感じたのさ。まるで山から声が聞こえたようだった、私がそう感じただけだったのかわからない。ほんとうに変だった・・・

■誕生秘話
タルカンは奇跡的な誕生秘話を初めて語った:「母は私を宿して2,3ヶ月の時に交通事故にあい、フロントガラスから跳ね飛ばされたらしい。意識不明の重態だった。でも、母子ともに命にしっかりつかまれていたようだ。全ての医者が「この子は取り上げなければ」と母を説得しようとした時、母はある夢を見たそうだ。同じ晩父も同じ夢を見たそうで、その夢は「その子に触れるな」と告げたらしい」



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( 翻訳者:松本沙知 )
( 記事ID:2850 )