サハル・ブアースィーリー「無制限の戦争」(アル・ナハール紙)
2006年07月15日付 Al-Nahar 紙
■ サハル・ブアースィーリー「無制限の戦争」
2006年07月15日付アル=ナハール紙(レバノン)HP論説面
イスラエルはレバノンを24年前に後戻りさせると脅迫し、実際にレバノンを包囲し、国内の交通網を切断し、民間人や重要施設を狙って破壊行為を繰り返すことで、脅迫を実行に移している。しかしこうしたやり方を除いて1982年の戦争と今回の戦争の間に類似の点があるとすれば、それはイスラエルがレバノン情勢に決定的な転回の瞬間を強制しようと試みている点である。
イスラエルは1982年にはパレスチナ武装勢力の存在に終止符を打とうとしていたが、今回はイスラエル政府報道官の言い方を借りれば「ヒズブッラーの骨格を打ち砕く」ことを望んでいる。しかし今回のイスラエルの軍事作戦は1982年とは異なっている。ヒズブッラーとの対決のありようも異なっているし、ハサン・ナスルッラー師が宣言したように「無制限の戦争」に実際に発展する可能性もある。あるいはやがてレバノン国内のみならず地域の各国をも巻き込んで拡大してゆくかも知れない。今日と1982年との間にある根本的な違いの結果として、その危険性は存在している。
1982年には世界は二極対立構造の下でいまだ分裂しており、何らかの動きをとる余地があった。しかし今日では二極対立の構造は撤廃され、最大の発言権を有するのはアメリカである。アメリカはイスラエルに「攻撃の停止」を呼びかけるつもりなどない。一部の諸国がアメリカと対立している原因は、ヒズブッラーに対する姿勢ではなく、レバノンに対するイスラエルの報復の規模と暴力の度合いなのである。
かつての国際社会における二極対立に代わって今日では、地域内における激しい二極対立の構造がある。一方ではイランとシリアの同盟にヒズブッラーとハマースが加わっており、もう一方ではサウジアラビアのとった立場にエジプトとヨルダンが賛同を表明している。ヒズブッラーの作戦を「いかなる結果をもたらすか知れない冒険行為」とみなして事実上ヒズブッラーを見放す立場である。
1982年と今日の最大の違いは、対立の一方の当事者たるヒズブッラーである。ヒズブッラーはレバノン国内の勢力であり、24年前のパレスチナ解放機構のように「追放」するわけにはゆかない。ヒズブッラーは広汎な支持を得ており、レバノン社会を構成する最も主要な宗派の大部分を代表しており、レバノン南部解放に果たした役割のゆえに正当性を有している。
たしかに多くのレバノン人がヒズブッラーの独断専行に不満を覚えている。ヒズブッラーは作戦を決行したうえでレバノン人に異議を申し立てぬよう求め、「発生した事態に取り組む」ために力を合わせるよう求めたのだ。それでもヒズブッラーがレバノンにおいて実際に占める位置に変わりはない。不満を持っている人々も議論は後回しにすることが賢明と考え、レバノンの一体性が損なわれる度合いを最小限度に抑えつつこの難局を乗り切るために出来うる限り国内の結束を維持するべく、よく慎重な行動に努めている。
またヒズブッラーの武装問題の有する多面性が事態への取組みを一層困難にしている。国内的な側面に加えて、イスラエルに対する意味合いとシリア・イランとの関係をめぐる意味合いという二つの意味合いを帯びた地域的な側面が存在している。それゆえに(1982年のレバノンにおけるパレスチナ勢力の武装問題を軍事的に解決したごとく)ヒズブッラーの武装問題を軍事面のみから解決し、レバノンにおけるヒズブッラーの将来の位置について無視をすることは困難なのである。
今日、分かちがたく結びついている二つの事柄がある。すなわち、ヒズブッラーの武装問題は、レバノンにおける同党の将来の位置と無関係に解決することはできない。またもう一組、分かちがたく結びついている二つの事柄がある。すなわち、ヒズブッラーの問題は、イランおよびシリアと無関係に解決することはできないのである。
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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:3015 )