「私は7人殺しました」:バンダル・アンザリーの連続殺人鬼が驚愕の自供 シャルグ紙
2006年07月25日付 Sharq 紙

2006年7月25日付シャルグ紙27面

【社会部:エラーヘ・ファラーハーニー】事件は、ある職を探していたバンダル・アンザリー〔イラン北部カスピ海岸の町〕の女性が行方不明になったことに始まる。心配になったこの女性の母親が数日前、ラシュトの警察当局に出向き、次のように訴えた。「27歳になるメフナーズという名の私の娘が、仕事を探しに家を出たきり、帰ってこないんです。娘は大学を卒業して、外で働くことを希望しておりました。そんなとき、ベフザードという男が、メフナーズのために仕事を見つけたって、家に電話をしてきたんです。娘はベフザードとの約束通りに家を出て、それから帰ってこないんです」。

 捜査官らは記録の残っていた電話番号から、ベフザードを割り出し逮捕、取り調べを行った。男は当初、メフナーズさんについては何も知らないと主張したが、捜査官らの巧みな取り調べの結果自白し、メフナーズさん失踪の謎について語り始めた。男は次のように述べた。

 「メフナーズとは、彼女が仕事を探しているときに、偶然知り合い、彼女のことが好きになってしまった。私は彼女に、仕事を見つけてあげるって約束し、それで彼女の電話番号を聞き出したんだ。彼女と知り合って少し経ってから、私はメフナーズに求婚した。でも彼女は、私の求婚を断った。何度も結婚を申し込んだが、ダメだった。結局私は、彼女への復讐を決意した。

 事件の当日、彼女の家に、仕事が見つかった、といって電話を入れた。メフナーズはとても喜んでいた。彼女と会う約束をして、彼女も約束通りにやってきた。彼女を自宅に連れ込み、もう一度結婚を求めた。でもやっぱり答えはノーだった。どれだけ食い下がっても、よい返事は得られなかった。不意に、彼女を殴ってしまった。すると彼女も手提げバックで、私の頭を叩いた。これに対し、私は彼女を暴行してしまった。

 このときにはすでに、自分をコントロールすることができなくなっていた。私は彼女に殴る蹴るの暴行を加えた。彼女は地面に倒れ、動かなくなってしまった。気が付くと、彼女はすでに息をしていなかった。私は彼女の死体をそこに放置した。夕暮れ時になってもう一度現場に戻って、死体を麻袋に詰め、自宅周辺の庭に埋めた」。

 ベフザードの自供をもとに、捜査官らは遺体遺棄現場を捜索し、メフナーズさんの遺体を発見、司法解剖へと回した。その後もベフザードへの捜査員らによる取り調べは続き、男の自供から、さらに6件もの殺人事件が明るみになった。

 ▼ 最初の殺人は8年前

 ベフザードはまず、77年〔1998年〕に当時10歳の少女を殺害したことを自供した。「77年に、ラシュトのヘンマーム地域のグーラーブジール・サフラー村で、最初の殺人を犯した。魚釣りをしていたマフブーベという少女を、川岸で見かけた。女の子の体は小さく、私に対して抵抗することは不可能だった。彼女を両手で抱え、誘拐し、家に連れ込んで、いたずらをした。

 マフブーベが意識を失っていたとき、私のことを誰かに告げ口するのではないかとの不安から、彼女をひもで絞殺した。彼女の遺体は、ある場所に遺棄したが、その後遺体が見つかることを恐れ、遺体を移動させて、自宅の中庭にある池の脇に埋めた。

 しばらくすると、マフブーベの父親が、娘の誘拐容疑で私を警察に訴えたが、私の父が捜査当局に出向き、そこでマフブーベ失踪時私が父と畑にいたと証言してくれた。父の証言のおかげで、私の容疑は晴れた。マフブーベの父親は麻薬中毒に溺れていたため、今度は逆に彼に容疑がかかり、しばらく当局に拘束された。しかし、証拠が見つからなかったため、彼も釈放された」。

 ▼ 二番目の殺人は79年〔2000年〕

 ベフザードは79年に犯した二番目の殺害事件について、次のように自供した。

 「2人目の被害者は、資産家の女性だった。彼女は、私が当時働いていたナーン屋の近くに住んでいた。彼女と知り合って、それほど日にちの経っていないある日、彼女に家に誰もいないのを見計らって、彼女の家に行き、彼女に猥褻行為を働いた。その後彼女をひもで絞殺し、遺体を井戸の中に遺棄した。数日後、彼女の遺体は警察によって発見されたが、だれも私を疑わなかった。私とその女性との関係を知る者は誰もいなかったからだ」。

 ▼ 三番目の殺人は80年〔2001年〕

 この殺人鬼はさらに、身の毛もよだつ事件について、次のように自供した。

 「三番目の殺人は、ホセインという名の男と賭け事をして、彼がそれに負けたときのことだった。事件から5年が経つが、事件のことはよく覚えている。ホセインは賭けで金をすってしまい、私に借金を申し込んだ。私はそれを快諾した。金はすぐに返す約束だったが、彼はそれを怠った。事件当日、そのことで彼と喧嘩になり、ナイフで彼を殺害した。遺体はグーラーブジールにもっていってから、麻袋に詰めて、赤いひもで麻袋の口をしっかり縛り、祖父の自転車で養鶏場にもっていって、そこで焼却した。私とホセインの関係を知る者は誰もいなかったので、またしても警察が私を疑うことはなかった」。

 ▼ 四番目の殺人

 ベフザードは四番目の殺人について、次のように自供した。「四番目の殺人は、ベフザードの殺害からそれほど時を経ていないときに犯した。その頃にはすでに、わたしはかなり大胆不敵になっていた。以前から仲の悪かったモハンマドという若い男を殺すことを決めた。不仲の原因について話し合おうじゃないかといって、モハンマドを狩に誘った。猟場で、モハンマドを射殺した」。

 ▼ 五番目の殺人は81年アーバーン月〔2002年10〜11月〕

 この凶悪犯は、五番目の殺人事件について次のように語った。「五番目の犠牲者は、自宅近所に住んでいた17歳のメイサムという少年だった。数年前、彼の母親と知り合ったが、しばらくすると金銭トラブルから仲が悪くなっていた。そこで彼女に復讐するために、彼女の息子を殺すことを決意した。メイサムが一人でいるところを見計らって、彼の自宅に行った。最初、彼のこめかみのところを強く殴ると、彼は失神した。それからひもを用意して、彼を吊るし、あたかも自殺したかのように装った」。

 ▼ 六番目の殺人は82年〔2003年〕

 ベフザードはさらに、この恐るべき殺人について、次のように語った。「次の被害者は、テヘランの6歳の少年だった。兵役の後、仕事を見つけるため、テヘランに行き、そこである菓子屋で働いた。就職してから1ヶ月も経たない頃、6歳の少年と知り合った。少年の家は、仕事場のすぐ近くであった。ある日お菓子をあげるといって、少年を菓子屋に呼び出した。菓子屋の休憩室に少年を連れ込み、そこでいたずらをした。その後私のことをだれにも言わぬよう、少年の首を絞めて殺した」。

〔後略〕

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:3098 )