トルコが愛した作家ドゥイグ・アセナさん、力尽きる(Radikal紙)
2006年07月31日付 Radikal 紙
新聞記者、雑誌編集長、コラムニストであることに加え、著書『女性の名前がない』で、それまでのベストセラー記録を打ち破り一時女性の諸権利のシンボルとなったドゥイグ・アセナさんが昨日朝に亡くなった。アセナさんは2年間、脳腫瘍で闘病生活を送っていた。
ドゥイグ・アセナさんは1997年4月19日のコラムで次のように述べている。
『今日は私にとってとても重要な日である。この世界で一体何人の人が私と同じくらい今日という日を重要に感じているだろうか。今日が私にとって重要なのは、私が4月19日に生まれたからである。この巨大な宇宙で一個の細胞よりさえ小さな存在である私は、幾億もの生命のうちで私自身が一番重要な存在であるかのように、4月19日を大事にしているのだ…』ドゥイグ・アセナさんが自分の誕生日を重要視したように、トルコも彼女を重要視した。新聞記事や発行された女性誌、執筆した著書、女性の権利改革、タブーへの挑戦、男性達とやりあうことなどによって、「風のように去っていった」。2年前、脳腫瘍との診断を受けたドゥイグ・アセナさんは昨日朝、60年の人生へ別れを告げた。
■うつ病と思ったら脳腫瘍だった
トルコ・メディアの重要な論客の一人、ドゥイグ・アセナさんの病は2年前に発覚した。アセナさんは、「神経膠芽腫」、脳腫瘍の一種との診断が下されたことをeメールで友人に打ち明けている。その後、ヴァタン紙のコラムで「頭の中のもの」を以下のように説明した。
『注意を集中させることができず、知覚が鈍り、体が左右にぶつかる…。またうつ期に入ったのだと思っていた。すぐに精神科へと向かった。しかしながら、診察を受けると‘明日ただちに脳のMR( Magnetic Resonance:磁気共鳴)検査を受けなさい’と言われた。私はその検査を受けた。結果は皆さんご存知の通りです。
今、私は皆さんに以下の事を言いたい。あなたが何歳であっても、たとえ全く死につながるものがない環境にあっても、日に数回生きる喜びを感じられることがあるはずだ。どうか周囲をよく見てほしい。どうかそれらを‘普通’ととらえ片付けてしまわないでほしい。人生の一番小さな、一番ありふれていると思う事からさえも生きる喜びを見出すよう努めてみてください。』
まず医薬療法と放射線療法を受けたドゥイグ・アセナさんは、2004年の10月に手術を受けた。手術の前に感じたことについても以下のようにコラムに発表していた。
『ある日誰かが、-その誰かというのはもちろん医者のことですが-あなたの脳におかしなものがありますよと言うかもしれない。脳のMR検査の結果、あなたの脳に何かおかしなものがあったとする。するとその瞬間からあなたの人生は完全に変わってしまうでしょう。例えば、あなたの脳にあるそのおかしなものの生体組織検査をするために、頭を開いて一口大のそれを取って見てもらいましょうか、もしくは大がかりな手術のように頭を開いて何があっても取り除いてもらいましょうか?どうぞやってみましょう―この決心がどれほど深刻なものであるか確実にお分かりでしょう…』
ドゥイグ・アセナさんは手術の後、‘愛の輪’に包まれた。しかし、病を葬り去ることは出来なかった。アセナさんの2年もの病への抵抗は、4日前、7月27日木曜日に事切れた。著名新聞記者・作家は、‘一時的な呼吸困難および高熱’を訴えてアメリカン病院へ運ばれた。
■義兄のチャプンさんと一緒に
病院には、バブアーリ(イスタンブルの出版社街)のもう一人の有名人、ハリト・チャプンさんもいた。チャプンさんはアセナさんの姉、インジ・アセナさんの元夫であった。2人の新聞記者、2人の親戚同士は同じ病院で生きるための闘いをしていた。末期の肝不全の治療を受けていたチャプンさんは一昨日の朝亡くなった。傍らには元妻、インジ・アセナさんとその娘、ベルフ・チャプンさんが付き添っていた。ドゥイグ・アセナさんはといえば昨日朝4時45分に‘呼吸停止’により亡くなった。インジ・アセナさんはこのとき妹の、ベルフ・チャプンさんは叔母の死の悲しみに崩れ落ちた。
アセナさんが亡くなってから、昨日アメリカン病院で記者会見が行われた。胸部疾病の専門医、アイシェ・フィダン・バトゥルアルプ博士によると、アセナさんは最後には治療への反応がなかったとのことだ。
「一時的な呼吸困難と高熱により入院しました。腫瘍の腫大化による、我々が「中心効果」と呼んでいる症状に関係がありました。意識のない状態でしたが、あらゆる処置を施しました。延命治療を施しながら、血圧の上昇と機能の安定に努めました。」
ある新聞記者の「治療に遅れはなかったのか」との質問に対してバトゥルアルプ博士は「いいえ、決してそのようなことはありませんでした。ただ腫瘍が非常に悪性だったということです。脳腫瘍は診断後だいたい3~4ヶ月の寿命であることが一般的なのに対し、ドゥイグさんは奇跡的に2年間も生きられました。」と返答した。
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:及川治香 )
( 記事ID:3149 )