7月3日付シャルグ紙
[社会部]
[ファールス州]ジャフラムにあるアフサーネ庭園での家族殺しの主犯に、公衆の面前での10回の報復刑が宣告された。この事件の主犯であるアリー・ムハンマドは息子であるモジュタバーとアフガン人使用人であるルーホッラーの手を借りて、家族12人を殺すに至ったとの容疑で起訴されていた。1384年エスファンド月5日(2006年2月24日)、アリー・ムハンマドは彼の家族が所有するジャフラムにある庭園へ家族を呼び出し、銃殺した。家族のうち12人が彼のカラシニコフ銃で撃たれて命を失い、他の5人も負傷した。アリー・ムハンマドの息子モジュタバーと使用人のルーホッラーは事件発生後一時間で逮捕され、主犯も、50日間に及ぶ逃亡ののち、フィールズアーバードの山中で逮捕された。
主犯のアリー・ムハンマドは以前から兄弟姉妹との間にトラブルを抱えており、取調べに対して、この凄惨な事件の動機が家族との財産、土地、庭園をめぐる確執にあったと述べた。彼は以前にもアフガン人殺害の容疑で起訴されていたが、その際には報復刑を免れた。
52歳の容疑者はその殺害の経緯についてこう語った。「我々家族は父から引き継いだ40ヘクタールの土地を所有していて、その一部で農業をしていた。私は30年経ってから、この[水路によらず降雨のみに頼る]乾地農法による農地に植林して庭園にした。こうして、庭園は200ヘクタールにまで増したが、兄弟姉妹は、私の事実上の権利を受け入れず、庭園を財産分与しようとしてくれなかった。私は2億トマン(2500万円)の負債があり、債権者も[返済に対して]強く圧力をかけた。この問題は話し合いでは決着がつかないと思ったとき、私は精神剤の影響を受けている状態にあり、家族を殺すに至ってしまった。」
一家殺人の主犯の逮捕により、容疑者の調書が完成し、裁判が開始された。アリー・ムハンマドは、裁判の席において、自身を弁護してたびたび精神剤の影響について言及した。しかし19歳の息子のモジュタバーは、父親のこの〔殺害の〕計画については何も知らず、アリー・ムハンマドから脅迫されたと供述した。アフガン人の若年の使用人ルーホッラーはも、アリー・ムハンマドが事件の手助けをするよう我々を脅迫したと述べた。
昨日、この事件を扱った裁判官は、[12人の被害者のうち]2人の遺族が賠償金を手にする事を望んでいる点に留意し、この殺人事件の主犯のアリー・ムハンマドに公衆の面前での10回の報復刑を宣告した〔*〕。モジュタバーとルーホッラーは殺人幇助の罪に問われるところだが、ファールス州の刑法にのっとって無罪放免に処された。
〔*註:被害者・遺族の側が加害者に対して賠償金(ディーヤ=血の賠償金)を要求した場合、同害報復刑(キサース)を要求することはできないことになっている。ここでは、殺人の被害者12人のそれぞれの遺族のうち、10人が加害者に対して同害報復刑、すなわち死刑を望み、他の2人の遺族が賠償金の支払いを求めたということを意味している〕
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( 翻訳者:井上 貴恵 )
( 記事ID:2930 )