カザフスタンの大学では、スカーフ着用の学生の受け入れを停止(Yeni Safak紙)
2006年08月25日付 Yeni Safak 紙
トルコ・カザフ国際ホジャ・アフメト・イエセヴィ大学理事長にチェティン・ドアン元陸軍大将が選任されると、学長には元陸軍大佐のウウル・オラル教授が任命された。その後同大学はスカーフを着用した学生の受け入れを初めて停止するよう決定した。
スカーフを着用しているがために学校へ行けないトルコの女学生らにとって、カザフスタンの国際ホジャ・アフメト・イェセヴィ大学は望みの綱となっているが、同大学は今年初めてスカーフ着用の学生の受け入れ停止を決定した。大学の創立綱領に従いカザフスタン人とトルコ人両方の学長が任命される際、イェセヴィ大学理事会はトルコ人の学長候補としてメルスィン大学学長、ウウル・オラル教授をYÖK(高等教育機構)へ推薦した。推薦を受けたYÖKはこれをトルコ共和国大統領府へ承認申請、アフメト・ネジュデト・セゼル大統領の承認後にメルスィン大学学長で元陸軍大佐のウウル・オラル氏が公式にイェセヴィ大学の学長へ任命された。同氏は11月15日に就任することが明らかとなった。
トルコ・カザフ国際ホジャ・アフメト・イェセヴィ大学理事会の会合において、任期満了したナムック・ケマル・ゼイベック前理事長の任期を延長せずに、代わりにチェティン・ドアン元陸軍大将を任命すると発表された。学長として先週元陸軍大佐のウウル・オラル教授が新たに任命されたが、その直後にイェセヴィ大学は公式ホームページにて、「本学では本年度、スカーフを着用した学生は受け入れない」と発表した。同大学は1992年の創立以来、スカーフ着用の学生も受け入れて来た。
1998年のメルスィン大学学長選挙で最多票を獲得したオヌル・ビルゲ・クラ教授はYÖKが大統領へ提出する候補者三人のリストにさえも入らず、二番目に多く票を獲得したウウル・オラル教授がスレイマン・デミレル大統領(当時)によってメルスィン大学学長に任命された。オラル学長の名は、その後2002年3月26日にメルスィン・ヒルトンホテルで行われた学会でスカーフを着用した看護師、ヤセミン・ケシュさんを会場から追い出したことで有名となった。さらにメルスィン検察庁が10の罪を犯した容疑で同学長について調査を開始し、YÖKから公式に訴訟の許可を求めたことが明らかとなっている。YÖKは現段階では許可を出していない。
■チェティン・ドアン元陸将
チェティン・ドアン元陸軍大将は「2月28日」(*訳者注)の時期では有力者の一人であった。ドアン元陸将は、当時のチェヴィッキ・ビル副参謀総長が設置した西欧ワーキング・グループ内で核メンバーとしての役割を果たすと同時に情報担当局長を務めていたが、後に「当時の行いには誤りもあった」として罪を明るみに出すよう努めた。ドアン元陸将は陸軍大将の階級だった2003年8月に、軍司令官職から退役を命じられた。
*「2月28日」→1997年2月28日クーデター:大統領を長とし、参謀総長などで構成される国家安全保障評議会(MGK)が「アタテュルクの(打ち立てた)原則と革命を譲歩することなく実行する」という決定を下し、宗教色の濃い福祉党(RP)のネジメッティン・エルバカン首相に退陣を迫った事件。エルバカン退陣後、祖国党(ANAP)のメスト・ユルマズを首班とするANAP-民主左派党(DSP)-正道党(DTP)政権が成立した。RPには憲法裁判所により解散命令が出された。(参考:http://tr.wikipedia.org/wiki/28_%C5%9Eubat_s%C3%BCreci(トルコ語))
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( 翻訳者:永井 ひとみ )
( 記事ID:3346 )