2006年8月3日シャルグ紙事件面
【社会部:ベフナーム・パークザード】「僕が父を首吊り紐でつるそうとしたとき、地面に倒れていた父は僕の靴に口づけし、殺さないでくれと懇願した。」
これが、今年のモルダード月6日に父親殺害の容疑で逮捕された19才の少年の、恐るべき証言の一部である。これよりまえ、モジュタバーとモスタファーという二人の兄弟が、ブーマハンの第206警察署に通報し、60才の父親が自殺したと知らせた。警察官らが、この男の家の中庭に入ったところ、青い紐を首に巻いた男の死体を発見した。また、男が死ぬときに足をかけたと思われる脚立が、死体から数メートル離れたところにあったのを見つけた。
事件は、テヘランの殺人担当判事に知らされた。関係者の立ち会いののち、身元照会局と鑑識局によって、死体はレザーという名の60才の男性のものであり、前日の夜10時に死亡したものであることが明らかになったた。刑事らはその後、レザーの家族に対する取り調べを開始した。レザーの妻と娘は、事件について、何も知らないと証言し、次のように言った。「私たちは、朝、彼の首吊り死体を家の中庭で発見した。」
取り調べを続ける中で、警察は、レザーの次男モスタファーが、殺害の一週間前にあたるティール月の30日、父親を殴打し罵っていたことを明らかにした。このとき、父親は頭部を骨折し、病院に運ばれていた。これらの事実により、警察は、モスタファーへの疑いを深めると、彼は行方をくらました。こうしてモスタファーの逮捕劇が始まった。彼はついに兄のモジュタバーの協力により、モルダード月6日に、レイで発見され逮捕された。
モスタファは、逮捕された直後、父親の殺害を否認していた。しかし、警察の尋問によって、父親殺害の凄惨な犯行を認めた。モスタファは、自供の中で、犯行当日の状況を次のように説明した。
「事件当日の朝、僕は父を脅し、父が地方に所有している土地を僕の名前に書き換えさせた。父は僕の言うとおりにした。夜になり、僕はもう一度、ブーマハンにある父の家に行った。彼は部屋で眠っていた。僕は最初から父を殺そうと決めていた。父を起こし、中庭へと引きずって行った。このとき、母と妹も目を覚ました。事態に気付くと、ふたりは、僕にやめてくれと激しくとりすがった。僕は彼女らを部屋へ連れて行き、ドアに鍵をかけた。しかし、ふたりは、部屋の窓から一部始終を見ていた。」
不埒な息子は、さらに自供を続け、次のように述べた。「父を、用意しておいた首吊り台の方へと連れて行った。このとき、父は地面に倒れており、僕の靴に口づけして殺さないでくれと懇願した。しかし、自分は、父親を脚立の上にのせ、紐を首にかけ、その後、足の下の脚立を引っ張った。彼は絶命した。父の死を確信すると、妹と母のいた部屋の扉を開け、父の死体を見るようにと二人に言った。」
モスタファーの自供ののち、母親と妹が再び取り調べを受けた。事件を担当した将校は、ふたりに尋ねた。「あなたたちは、事件のことを知っていたにも拘わらず、何故、最初の取り調べで何も言わなかったのか。」彼女たちは、モスタファーに、もし事件のことを警察に話したらお前達も殺すぞと脅されていたと答えた。さらにモスタファの兄[モジュタバー]も事件の真相について何も知らなかったことが分かった。容疑者は現在、テヘラン警察の第10管区拘置所におり、犯行の主な動機解明のための捜査が続いている。
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( 翻訳者:前田君江 )
( 記事ID:3195 )