女性たちの「駆け込み寺」に立ち退き命令 ハムシャフリー紙
2006年08月27日付 Hamshahri 紙
2006年8月27日付ハムシャフリー紙
【社会部】庇護者のいない子供たち、および、暴力を受けた女性たちを保護する施設が、相次いで閉鎖されている。「希望の家」と名づけられた、家出少女らを保護する施設が一時閉鎖された後,他の類似施設も、立ち退きや閉鎖をせまられている。
テヘラン州福祉庁事務局長のモハンマド・ナファリイェは、この問題について、ISNAに次のように述べた。「希望の家」は他の7箇所とともに、庇護者のない子供たちと暴力にさらされた女性たちの保護施設として、合意書を通じ、福祉庁の管轄下に置かれたが、同庁は、以前の不動産所有者が負債を抱えているといった様々な理由により、これらのうち2箇所のみを、登記することができただけだった。
被抑圧者財団はこれらの不動産が接収されたものであることを根拠として、所有権を主張した。ナファリイェ事務局は次のように説明した。「福祉庁とイラン・イスラーム革命被抑圧者財団との間で数年前に取り交わされた、最新の合意書においては、福祉庁の名での不動産の権利証書を発行する代わりに、同庁は他の不動産を被抑圧者財団に引き渡すことになっていたが、この合意は実現されなかった。」
現在では、保護施設のうちの三ヶ所が立ち退きの危機に直面している。ナファリイェ事務局長は次のように述べている。「『希望の家』に加え、他の三ヶ所の立ち退き命令を求める訴状も、テヘラン州福祉庁に対して出されている。」
特筆すべきは、63年(西暦1984-85年を指す)に当時の首相の命令により、いずれも建物を含む8ヶ所の土地が、福祉庁が保護する庇護者のない人たちや社会的に暴力にさらされた人たちのために譲渡されたことである。
しかし、後年、イラン・イスラーム革命被抑圧者財団が、いくつかの土地が接収されたものであることを理由とし、イスラーム革命裁判所に告訴を行った。というのは、接収された財産は、被抑圧者財団のものとなるためである。また、テヘラン州福祉庁もこの措置に対し、一般裁判所に告訴した。
ついに昨年、イスラーム革命裁判所の判決に従い、庇護者のない子供たちの保護施設に対する立ち退き命令が出され、同施設は被抑圧者財団に譲渡された。さらに、今年もまた、暴力を受けた少女や女性たちの更生施設(「希望の家」)に立ち退き命令が、被抑圧者財団によって採択され、何度かにわたり、立ち退きを迫られた。しかし、これらの施設が福祉庁に譲渡された法的根拠を示し、法的に対抗措置を取ることにより、また、収容者らの抵抗によって、立ち退きは行われなかった。
最終的に、革命裁判所による命令執行の担当者の立会いのもと、暴力を受けた少女と女性たちの更生施設(希望の家)の立ち退きが実施された。身を寄せる場所も決まらないまま、現在治療中・リハビリ中の約25人の少女たちが、再び避難場所を失ったのである。
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( 翻訳者:前田君江 )
( 記事ID:3413 )