アクサー・モスクの由緒ある説教壇、トルコ人職人が復元
2007年02月03日付 Radikal 紙
狂信者により放火されたが、38年後にオリジナル同様に複製されたアクサー・モスクの木製の説教壇がモスクに設置された。
イスラームにおいて最も高い価値をもつもののひとつ、エルサレムにあるアクサー・モスクの木製の説教壇は、1969年に狂信者、ミハエル・デニス・ローハンによって放火された。エルサレムにいる非常に多くのムスリムは、イスラエルがエルサレムを占領した1967年の第3次中東戦争(イスラエル対アラブ連合)の2年後に発生したこの火災を、彼らが経験した苦しみのシンボルとして受け止めたのだった。モスクをなくせば救世主の降臨を早めると信じていると述べたローハンは、その後、精神鑑定で異常と診断され、イスラエル国外に追放された。焼失から38年後の今日、木製説教壇はオリジナルどおりに複製され、同じ場所に設置された。
■トルコ人木工職人の作品
木製の説教壇の製作と組み立て作業は、2人のトルコ人木工職人、レジェプ・エリトクさんとメフメト・アリ・ウチャルさんも加わり、4年以上の年月をかけ、アンマンで実施された。ヨルダン政府は、新しい説教壇製作のために175万ドル(245万新トルコリラ、約2億1千万円)を費やした。説教壇の組み立て全てが完了し、2日(昨日)の金曜礼拝に間にあわされた。
説教壇は、古文書館や博物館にある焼失したアクサー・モスクの説教壇の写真を参考にして、オリジナルどおりに製作された。そして先月、組み立て前の状態でヨルダンから輸送された。
焼失をまぬがれた一部は、モスクの複合施設の中にある博物館に保存されている。
「サラーフ・アッディーンの説教壇(ミンバル)」として知られるオリジナルは、もともとトルコ人であるザンギー朝のヌール・アッディーンが1168年に製作させた。 「トルコ人のエルサレム 1516-1917年」という本の著者メフメト・テュテュンジュ氏は、「オリジナルの説教壇は、トルコ人がエルサレムにもたらした最も価値の高い贈り物でした。」という。同氏は、テュルクメン人で州知事だったザンギー朝のヌール・アッディーンが1168年に説教壇の製作を命じたが、その完成を見ることが出来ずに死んだと語る。
■ザンギー朝とアイユーブ朝の複雑な関係
説教壇は、ヌール・アッディーン・ザンギーの息子、サリフ・イスマイルの指示のもと、6年かかって完成され、1187年にエルサレムを征服したアイユーブ朝のサラーフ・アッディーンによってアレッポからエルサレムに運ばれ、アクサー・モスクに置かれた。この説教壇は、火災にみまわれた1969年までの762年間、アクサー・モスクに置かれた。ヌール・アッディーンによって製作が命られた2つの説教壇のうちもうひとつはアレッポに残された。テュテュンジュ氏は、ザンギー朝とアイユーブ朝のあいだの関係が複雑なものであったと述べている。ザンギー朝が十字軍に対して戦闘の準備時にアイユーブ朝とのあいだに芽生えた不信関係が原因で、エルサレム征服は10年おくれたという。
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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:10074 )