論説:シリアのクルド-3月蜂起三周年を記念して
2007年02月25日付 al-Sabah al-Jadid 紙
■ 3月蜂起三周年を記念して、シリアのクルドへの挨拶
2007年02月25日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP1面
先週木曜午前、ダマスカスの軍法会議で50名のクルド人の裁判が行われる事となっていたが、それに関する情報は途絶えている。
シリアの人権団体が明らかにしたところによれば、この裁判は、2005年6月5日、カーミシリーの街で、マアシューク・アル=ハズナウィー氏が死亡した後に起きた平和行進を背景としている。(この人物の死について)シリア政府に疑いの目が向けられながらも、暗殺事件としての捜査は一切行われなかった。50名は秘密裏に拘束され、法的根拠も無いまま、彼らの訴訟は、カーミシリーからダマスカスへ送られて行われる事となった。
この事件は、2004年3月のシリアのクルド同胞達による蜂起を思い起こさせる。シリアのクルド人達は、国が彼らの存在を認めていないためIDを持たされず、法的にその国家に属していない事とされている。彼らの言語は、話す事と読み書きを禁止されている。彼らは、クルドの名の下に政治、文化、市民団体を形成する、あるいは、それらの組織に属する権利を認められていない。それにもかかわらず、被疑者となると拘留され軍法会議で裁かれる。シリアのクルド人は、地上で最も辺境に追いやられ阻害された人々だと言っても過言ではないだろう。
人間としての尊厳を認められず、アイデンティティ、個性、言語文化、総じてアラブとは異なる民族性国民意識を持つ人々としては最低限の人権さえ保障されない彼らは、専制と野蛮で知られる公的抑圧機構によって、民族的抑圧と迫害に晒されてきた。人種差別的、イデオロギー的な迫害、抑圧に直面するクルド人の唯一の自衛手段が、自由と人間性への信奉で武装する事である。
クルドへの敵対心、彼らの民族的権利の剥奪は、シリアにおける支配的イデオロギーの一部を形成している。その源泉は、バアス党の本質の奥に潜むアラブ支配という欺瞞的思考である。シリア政府、より正しくはシリア・バアス党は、敵の敵は友という理論に基づき長年クルドも含むイラク反体制派を受入れてきた。シリアとイラクのバアス党指導部との間の血なまぐさい敵対関係は、イラン・イラク戦争の間、シリアをして、アラブ共同体という永遠のメッセージを放棄させ、その共同体の一部であるイラクに反しイランに益する行動を取らせた。
しかし、イラク・クルディスタンでの3月蜂起、同地域三県からのサッダーム・イラク軍の放逐、初のクルド国会選挙、クルディスタン政府の形成などを経て、シリア政府は、これらの危険な先例に、シリアのクルドが倣う事を危惧し始めた。イラン、トルコ政府も同様で、この危機感の前には、これら三政府間の意見の不一致、例えば、イラン、シリアにとり不倶戴天の敵であるイスラエルとトルコは戦略的同盟を結んでいるなどという事は、とりあえず保留される。三つの政府は不純な同盟を結び、サミット形式、あるいは諜報機関レベルで定期会合を継続し、南部クルディスタンの民主的成果に反する軍事、諜報、経済的作戦を練り、クルドに関わる事全般に敵対するという合意の下に協調している。
来る3月、カーミシリー、アムーダ、アフリーン、カウバーニーその他のクルドの地で、民族的迫害、残虐な圧政に反対して立ち上がったクルドの大衆蜂起は三周年を迎える。人種差別的イデオロギーによる組織的搾取は、国際的に認知される基本的人権を一顧だにしない各種の犯罪行為も含んでいる。他のアラブ政府同様シリアも、少数民族の権利、人権の実現、保障、保護を定めた文書に署名しているにも関わらず。
ここでは、西クルディスタン(シリアのクルド地域)3月蜂起の殉死者達を謹んで悼むことしかできないが、殉死者並びに拘留中の人々の親族に心からの挨拶を送る。南クルディスタンで我々は、バアス党とその精神に勝利した。野蛮な簒奪行為に、化学兵器攻撃という獣性に勝利した。バアス党は歴史の残滓となり、我々は生き残り国家を建てる。そこから、クルドに対しては敵意を向け各種の手段で迫害するのみの国々により強制的に分断統合されたクルディスタンの各地へ光を送る。今日我々は自身を解放した。近い将来、シリア、イラン、トルコのクルドに同じ事が起こるよう祈りつつ。
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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:10260 )