教育省内に新サロン名—イマーム・ハティーブ学校を再開設した人物の名を付与
2007年03月12日付 Zaman 紙

テヴフィック・イレリ氏は、アドナン・メンデレス政権の下、教育、開発、運輸、国務大臣、副首相を務め、閉鎖されたイマーム・ハティーブ学校を1950年に再開設した大臣として知られているが、彼の名前が、国民教育省内のサロンに付与された。

イレリ氏は(1960年)5月27日のクーデターののち、ヤッスアダで死刑判決を受けたが、のちに無期刑となった。留置場で病にかかったイレリ氏は、49歳で亡くなった。

サロンの開設に、副首相で外務大臣のアブドゥッラー・ギュル氏、テヴフィック・イレリ氏の甥で社会民主人民党党首ムラト・カラヤルチュン氏、その妻と子どもたち、そして7人の元教育大臣、国会議員、そして教育関係者が参加した。感動的な雰囲気の式典で、参加者は時々涙をこらえきれずにいた。

式典でスピーチしたギュル外相は、この式典が「(人への評価の点で)正しい認識を持ち、友愛を含んだ例」であると述べた。同外相は、テヴフィック・イレリ氏がトルコ政界にその名を残した重要人物であったとし、「イレル氏には、祖国を愛し、国民を慈しみ、国民国家の重要性を認識するといった素晴らしい性質があった」と述べた。

国民教育大臣ヒュセイン・チェリキ氏は、1947年まで村落部の学校は国民自身により運営されていたが、イレリ氏時代に出された法律で、学校が国家によって運営され始めたのを喚起した。このことが「機会平等」への大きな一歩になったことを説明したチェリキ教育相は、イレリ氏が教員学校を広め、アタテュルク大、中東工科大、カラデニズ工科大学を設立にあたり先導役をつとめた、と述べた。またこの式典で、イレリ氏の息子であるジャヒト・イレリ氏も父について語った。

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( 翻訳者:山本裕一 )
( 記事ID:10382 )