共和人民党の国会議員アリ・ディンチェル氏、逝去 -病魔との闘いに負ける 
2007年04月19日付 Hurriyet 紙

2006年12月22日に肝臓移植を受けたトルコ大国民議会会派代表で、共和人民党ブルサ選出議員であったアリ・ディンチェル氏が昨日亡くなった。彼は金曜日(13日)から集中治療室で治療を受けていた。今日(19日)コジャテペ・モスクの葬儀の後アンカラで埋葬されることになっている。


トルコ大国民議会議員で共和人民党ブルサ選出のアリ・ディンチェル氏は、治療を受けていたイブニ・シーナ病院で昨日(18日)11時50分亡くなった。金曜日(13日)高熱のためイブニ・シーナ病院に運ばれ、集中治療室で治療を受けていた。なお彼は2006年12月22日、18歳のハサン・サカ氏から肝臓を移植する手術を受けていた。

ディンチェル氏を最後に見舞ったのはタイイプ・エルドアン首相であった。首相はディンチェル氏が亡くなる約1時間前に病院に来て、ディンチェル氏の妻ユルデュズ・イブラヒモヴァ氏と兄弟のターヒル・ディンチェル氏にお見舞いの言葉を伝えていた。
首相は、党の中央執行委員会の最中にディンチェル氏の訃報を知らされた。ディンチェル氏の訃報は、大統領選挙について話し合いがなされていた中央執行委員会の会合の場に、少しの間動揺をもたらした。エルドアン首相と公正発展党党員らは、ディンチェル氏が亡くなったことに哀悼の言葉を述べる一方で、エルドアン首相は党内会派代表であるサィフ・カプスズ氏を首相代行として弔問に向かわせ、また国会葬の準備を命じた。

■バイカル氏へ電話

エルドアン首相は、その後ディンチェル氏の妻に電話をし、哀悼の意を伝えた。首相は、アリ・ディンチェル氏が亡くなったことで、バイカル共和人民党党首にも電話し、同じく哀悼の意を伝えた。ディンチェル氏の死後、病院に来たバイカル氏は次のように語った。
「我がトルコの非常に重要で、優れた知識人で政治家、さらに非常に高潔な同胞が、まだ若いといえるような年齢で亡くなった。人柄は、誰もがあこがれるような、類まれな意志の強さ、ポジティブ、積極的、情熱的、友好的といったものをいつも反映していた。」
今日(19日)11時30分トルコ大国民議会においてアリ・ディンチェル氏の国会葬が行われる。その後ディンチェル氏の葬儀は、コジャテペ・モスクにおいて昼の礼拝の後行われ、葬儀礼拝の後カルシュヤカ墓地に埋葬されることになっている。

■中東工科大学出身のエンジニア

トルコ大国民議会会派代表を務め、共和人民党ブルサ選出議員であったアリ・ディンチェル氏は、1945年ブルガリアのラズグラード市で生まれた。中東工科大学工学部を卒業し、トルコ技術者・建築家協会連合の機械工学部部長、トルコ自治体連合会やイスラム諸国家首都連合会の会長を務めた。芸術家のユルドゥズ・イブラヒモヴァ氏と結婚しており、スナという娘がいる。
■席にはカーネーション

トルコ大国民議会の本会議は、昨日(18日)アリ・ディンチェル氏への黙祷から始まった。ディンチェル氏の本会議の席には赤白のカーネーションが添えられ、公正発展党議員らは共和人民党議員らに哀悼の意を表した。

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( 翻訳者:三村麻衣 )
( 記事ID:10688 )