解説:ギュルが大統領職に相応しくない11の理由
2007年04月26日付 Cumhuriyet 紙
国家のナンバー2(=首相)であるレジェプ・タイイプ・エルドアンは、2007年4月24日に公正発展党(AKP)の党派会議で行った演説の後、国家ナンバー1の人物(=大統領)がアブドゥッラー・ギュルになるだろうと宣言した。
ヨーロッパアタテュルク主義思想協会連合として、我々は我が国における全ての正しい、現実的な歩みを支援する組織である。我々は、アタテュルク主義の倫理の枠組みにおいて、我が国を国外で代表することを非常に重要な任務とみなし、帝国主義-植民地主義国家によってトルコに向けられて行われる不当な糾弾に対し声を上げ、(我が)国を自覚と信念を持って守ることにおいて ―民主的な一市民社会組織として― 活発かつ機敏な活動を行っている組織である。我々の組織は、我が国で踏み出された誤った歩みに対しても極めて敏感な組織である。
近代性と文明;科学の持つ最も正しい道を指し示す役割や世界平和について敏感になることを、何か1つの方向や場所からでなく我々の偉大なリーダーであるアタテュルクから学んだ者の1人として、我々がアタテュルクから付託された世俗的、民主的で統一されたトルコ共和国での政治的展開が我々の並々ならぬ関心を引き寄せている。
こうした側面から、我が国とその国民のあらゆる見地からの将来に影響を及ぼすであろうAKPの第11代大統領候補に関連した次のような我々の批判や見解、考えを、表現の自由や民主的権利の枠組みにおいて同胞意識の自覚と責務により世論に反映させることは我々の重要な任務だと考えている。
1)2002年11月3日の選挙後首相に任命されていたアブドゥッラー・ギュルは、2002年12月12、13日にトルコを代表してEUのコペンハーゲンサミットに出席した。そのサミットにおけるEUの ―国際協定を無視した― ギリシャ系キプロス(キプロス共和国)を含む10カ国の2003年5月1日以降のEUへの完全加盟を認めるという決定に対し、ギリシャ系キプロスばかりかキプロス全体でさえ、トルコが加盟していない国際組織(=EU)に所属することは不可能であるという点について反論する権利を行使しなかった(あるいは行使できなかった)。(さらにその後ギリシャ系キプロスの承認を意味する関税同盟の条件を受け入れられるとの文書にサインし、1999年の(EUの)ヘルシンキ(サミット)では完全加盟のための要件を構成していなかったキプロス問題(の解決)を、2002年とそれ以降の年になってEUへの加盟条件として受け入れた)。
2)アブドゥッラー・ギュルは、国際法と決して折り合わないアメリカのイラク占領政策を承認し、南側の隣国(=イラク)との間の無理矢理強いられた関係を受け入れる可能性を示唆する態度を取って見せた。アメリカ軍がイラク北部にいるトルコ軍を軽んじる振る舞いを見せたことに対しても沈黙と無関心を保った。
3)かつてトルコのEU加盟に反対していたアブドゥッラー・ギュルは、トルコ大国民議会で行った演説の中で次のように語っていた:「トルコがEUに入らないのは確実だ。ヨーロッパ人がそう言っている。ヨーロッパの有力な政治家全員が言っている。なぜならEUはキリスト教徒の連合だからだ。我々がこう言っているわけではない。ヨーロッパでは皆が言っているし、皆が(そのことを)知っているのだ。(我が国は)国民に尋ねることを恐れていた。民主的であるならば、ヨーロッパの国々同様、国民投票をして国民の信を問えばよい。トルコをこの段階に導いた人々は責められるべきである」。
今日(かつての主張と)ちょうど反対のことを擁護することにより、信じられない代償を払って、またトルコが軽んじられることにさえほとんど目をつむって、「それでもどんな犠牲を払っても構わない」と言うほどトルコのEU加盟について、自身の言い方によれば「トルコ国民に尋ねずに」決定を下している。
4)アブドゥッラー・ギュルは首相就任後、ドイツのディ・ヴェルト紙と行った会談で、「コペンハーゲンサミットに期待するものは何か」という形の質問に次のように答えた:「トルコの目標は極めて明確だ。それはEUに加盟することである… EU加盟が我が国の民主主義と経済を強固にすることを期待している。これに対して我々も、EUへの完全加盟の承認が見込まれるトルコ国家が透明かつ民主的なイスラーム国家となることを約束する(2002年11月23日付同紙)」。
5)夫人であるハイリュニサ・ギュルは、イスラーム風スカーフについてトルコを欧州人権裁判所に提訴した人物である。他方で、現代的なトルコ女性のお手本になり得るような装いをしていない。
6)トルコの外務大臣として、ローマで開かれたあるEU会議の席上、「トルコに対しイスラーム風スカーフの問題で十分な圧力がかけられなかった」という表現で(EUを)非難した。
7)共和国軍に紛れ込んでいた原理主義者数人の免職の問題で、高等軍事評議会の決定に反対した。
8)アブドゥッラー・ギュルが外相を経験したAKPのメンバーとして大統領に選ばれれば、省庁職員の大部分はAKP政権とAKP出身の大統領との共同歩調に直面することになるかもしれない。こうした状況は、我が国の外交政策における不安定要因となり得る。
9)再び分かったことは、反ケマリスト党政権の指導者たちが、念頭に置いている「宗教秩序」―国家機関でてっぺんからつま先まで支持者を登用しながら― 定着させることを放棄していないようだということだ。
10)1970年1月26日に結党された国民秩序党(MNP)によって始まり、同じメンバーで国民救済党(MSP)、福祉党(RP)、美徳党(FP)、そして最後に至福党(SP)とAKPによって受け継がれてきた「反世俗主義イデオロギー」を信条とする人物であるアブドゥッラー・ギュルはミッリー・ギョルシュ(※)出身者であり、憲法裁判所によって閉鎖させられた福祉党と美徳党からも国会議員となった。
11)共和国軍や大学、研究機関、独立司法機関のような我が国の最も重要な公共機関と意見の衝突している与党のメンバーがアタテュルクの(建てた)トルコの大統領になるということは、トルコの将来という観点から見たリスク要素である。
少なくともこの11の理由により、我々はアブドゥッラー・ギュルが第11代大統領に選ばれるのに適し、(その重責を)担えるとは考えていない。
万一大統領がAKPから選ばれるなら、トルコが今日まで保持してきた近代国家の性格は一層大きな被害を受けるだろう。
(ヨーロッパアタテュルク主義思想協会連合会長 ドゥルスン・アトゥルガン)
(※)ネジメッティン・エルバカン元首相の主導してきたイスラーム運動。
詳しくは
「与党AKP、エルバカン元首相の恩赦を準備?(2006年1月21日、Milliyet紙)」を参照のこと。
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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:10738 )