ハサン・ジェマル:昨晩深夜に表明された軍部のけん制にNO!
2007年04月28日付 Zaman 紙
ミッリイェト紙のコラムニストのハサン・ジェマルは、軍部の政治介入は民主主義に反するものであると述べ、「真夜中の軍部の声明にはたった一言、NO!」と語った。
ハサン・ジェマルはCNNトルコの番組に出演し、次のように述べた:「民主主義社会において、軍部の政治介入は民主主義に反するものであるため拒否されるのです。トルコは様々な経験を経て、多くの血と涙を流し、そしていくつもの分断を経験したのだから、ゆっくりと、選挙の結果に自らを合わせていかなければなりません。文民政治を選択したのであるなら、また「大統領官邸は自分のものである」との(軍部のような)考えはトルコでは通用しないとするのであるなら。ここで、恥ずべきいくつかの政党がこのゲームの背後に隠れています。これはトルコにとっても、軍部にとっても、そしてトルコ国軍にとってもためにはなりません。トルコには民主主義、法治国家、人権体制があるのだと主張するのなら、また国家と社会秩序の基本を我々がつくるのなら、といっても現代的であるとはこうしたものなのですが。我々がこれをつくるのなら、軍部の介入に対し、皆で一緒にNO! と言うことが可能なのだということを知らなければなりません。憲法裁判所がどのような判決を下すとしても、トルコは既に選挙に向かって進んでいました。この状況下で、トルコで最も正しいことは、最も早い時期に選挙を行うことです。実際最も早い時期は、この7月の半ばです。選挙の投票箱を集計し、皆が一つの結果を受け、その後のプロセスが始まります。しかし法を『政治のため』という名目でゆがめてねじ曲げ、議会を、そして議会で行われる選挙を法で妨害し、大統領選挙を司法判断に委ね、そしてこの上更に、真夜中の声明で軍部の介入が起きること、こうした状況をみると、残念ながら、トルコでは選挙というものは激痛を引き起こすものであると、と申し上げたい。悲しいことです。トルコは、自らを対立させ、国を二分させながら、再び選挙を始めるのです。我々はこうした状況を、特に1970年代に経験しました。そしてこの大地で、特に75年から80年にかけて5,000人が死亡しました。この国にとって残念なことだと思いませんか、このような状況の中、国内がばらばらになりながら選挙にむかうのですか?残念ながらこのようなドアが今半分開きかかっているのです。この時点でなすべきことは、これが実現しないような形で、『出口』をつくることでした。しかし残念ながら機会を逸してしまったのです。私もタイイプ・エルドアンがチャンカヤに上がることに何の民主主義的障害はないと考えていました。しかし彼が大統領に就任することを支持しているわけではありませでした。私は話し合いを主張していました。しかしある意味、話し合いはありませんでした、どうするのでしょうか。トルコでトゥルグト・オザルが大統領になった際、今日ほど過半数は占める政党はありませんでした。彼は大統領になりましたが、何をしましたか?今もこのプロセスは進んでいます。このプロセスへの外部からの介入、法をゆがめてねじ曲げながらの介入、軍部の介入は、トルコにおいて再び正常化とはまったく正反対のドアを少し開けました。たった一言、この、真夜中の声明は、一人の市民として受け入れることができません。
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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:10758 )