ギュル外相、大統領候補から退く
2007年05月07日付 Yeni Safak 紙

アブドゥッラー・ギュル外務大臣は、大統領候補から退いた。トルコ大国民議会で記者会見を開いたギュル外相は、正道党や祖国党が以前の発言とは逆に、憲法裁判所が(大統領選挙の投票には)367議員の参加が必要条件であると決定を下したにもかかわらず、トルコ大国民議会に姿を現さなかった、と述べた。ギュル外相は、この先行われる予定の投票が無意味なものになるであろうと強調し、以下のように語った。

「トルコ大国民議会の尊重と政治の名誉を考えた結果、次回の投票が無意味なものであると信じています。これらの苦い経験を以前にも見てきました。トルコ政治はこれらを目撃してきました。この無意味な投票は、トルコ大国民議会の尊厳とトルコ政治の名誉を傷つけてきました。私のやり方は、この昔のやりかたとは、まったく違います。そうした考えから、大統領候補でいることが正しくないと考えています。そのため、大統領候補を辞退することにします。これから重要なのは国民の意見です。我々自身のことも、国民にお任せします。」

■正道党と祖国党は、共和人民党のやり方に賛成した

入念な話し合いの結果、第11代大統領候補に選ばれたと述べたギュル外相は、「大統領候補になることを公表した後、多くの国民の支持を得ました。国民が盛り上がっているのがわかりました。世論調査からもこれは明らかなことでした」と話した。

また4月27日に行われた第一回投票を、共和人民党がトゥルグト・オザルのときと同じようにボイコットしたとし、「祖国党や正道党も本会議に姿を現すことなく、大統領選挙において共和人民党の方針を支持しました。こうして大統領選挙は、トルコ大国民議会では扱いきれない問題となってしまったのです」と述べた。

■国民と一体である

大統領候補を退く問題で、党内で意見の食い違いがあったとの報道についてギュル外相は、「これらの報道はすべて間違っています。敬愛なる首相と私やその他の党員の間で意見の食い違いは全くありません。大統領選の過程の中で公正発展党は、より団結力を強めました。これからは、国民が決めることになります。我々は、国民に任せるのです。我々は国民と一体です」と答えた。

■新たな候補を出すのはまだ早い

今後の大統領選の成り行きについての質問にギュル外相は、「国会か国民のどちらかが決めることになるのです。国会が機能しなくなったら、すでに機能しなくなってしまっていますから、正しいのは国民が選出することです。やるべきことは単純明快です。国民に任せるべきです」と述べた。国民が投票することになったら、そのときの候補はギュル外相になるのかどうかという質問に対しては、「それは時期が来たらお話します」と答えた。

大統領候補から退くことを夫人と話し合ったかどうかという質問に対しギュル外相は、「もちろん。妻と話さずに誰と話すのですか。これは当然のことではないですか?」と答えた。


■もはや主張し続ける意味もない

アブドゥッラー・ギュル外相が大統領候補から退くのを望んだことで、公正発展党内で議論が起こった。ギュル外相は、投票前に大統領候補から退く意向を明かしていた。そして投票後、(レジェプ・タイイプ・)エルドアン首相とともに公式に国会での記者会見で候補から退くことを発表した。エルドアン首相は、「この国会で大統領を選出しないことになりました。大統領は、国民が選びます。これ以上主張し続けても意味がありません」と述べた。


■デミレルの1.5倍票を得たにもかかわらず、選出されなかった

オザル、デミレル、セゼルは同じ憲法の条項下で、それぞれ263、244、330票を獲得して選出されたにもかかわらず、358人の国会議員の得票でデミレルの1.5倍の票を獲得したアブドゥッラー・ギュルが大統領になることは阻害された。共和国成立以降18回行われた選挙で10人の大統領の得票数は以下のようである:

ムスタファ・ケマル・アタテュルク
1923:議員数:287、得票数:158
1927:議員数:316、得票数:288
1931:議員数:317、得票数:289
1935:議員数:399、得票数:286

イスメト・イノニュ
1938:議員数:399、得票数:348
1939:議員数:429、得票数:413
1943:議員数:455、得票数:435
1946:議員数:465、得票数:388

ジェラル・バヤル
1950:議員数:487、得票数:387
1954:議員数:541、得票数:486
1957:議員数:610、得票数:413

ジェマル・ギュルセル
1961:議員数:638、得票数:434

ジェヴデット・スナイ
1966:議員数:636、得票数:461

ファフリ・コルテュルク
1973:議員数:635、得票数:365

ケナン・エヴレン
1982 憲法とともに国民投票で選出

トゥルグト・オザル
1989:議員数:450、得票数:263

スレイマン・デミレル
1993:議員数:450、得票数:244

アフメト・ネジュデト・セゼル
2000:議員数:550、得票数:330



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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:10829 )