行政裁判所、反動を後押しする者達がいると批判
2007年05月11日付 Radikal 紙

行政裁判所のスムル・チョルトオール院長は、行政裁判所設立記念日におこなった演説で、「アタテュルクの原則と改革に反する行為は、いかなるものも反動行為だ」と述べた。同院長は、死傷者を出した行政裁判所への圧力について強調し、「トルコに脅威となる反動はない」との主張をする人々(政府をさしている)がこの事件の責任を負っていると述べた。

行政裁判所の139周念を祝し式典が行われ、参加したアフメト・ネジュデト・セゼル大統領は列席者に拍手で迎えられた。共和人民党デニズ・バイカル党首、高等裁判所の裁判官ら、政府からはメフメト・アリ・シャーヒン副首相、アブドゥッラティフ・シェネル副首相が出席した。同式典でチョルトオール院長は、行政裁判所襲撃でなくなった第2支部局長ムスタファ・ユジェル・オズビルギ氏の夫人に、盾を授与した。

チョルトオール院長は昨日の演説でも襲撃について、「共和国の基本原則を標的にした」行為であると強調していた。

■昨年注意を呼びかけた

チョルトオール院長は、これほどのまでの襲撃が高等司法機関に対し行われたのは「共和国史上はじめて」のことであるとし、一年前の記念式典でも危険を指摘したと述べた。(チョルトオール院長は、昨年の式典での演説で、「司法決定の一部に対し抱かれた不満は、批判の域を超えた。司法関係者らが標的にされている」と述べていた。)

同院長は、昨日の演説でもこの状況に言及し、「私たちが重視していることは、国家の名のもとで権力をふるう立場の者により(こうした問題が)重視されてこなかったことである。毎年の記念式典でいつも同じことを言っていると評され、危険は軽視されてきた。『トルコに脅威となる反動はない』と言って状況が軽視されてきたことや一部の報道機関による無責任な報道は、一部の者たちを勇気付けてしまった」と話した。

さらに、反動行為の定義についても述べた。「アタテュルクの原則と改革に反する行為は、いかなるものも反動行為だ。重要性や優先順位が時とともに変化するにつれ、トルコでは反動行為という脅威がつねに存在していたし、これからも存在し続けるだろう。」

同院長は演説で、大統領が単独でおこなう手続、最高軍事委員会(YAS)および裁判官・検察官高等委員会 (HSYK)の決定は司法上の監督を受けないと非難したが、同席したセゼル大統領に対しては、「辛く困難な日が続く中、国民にとっての信頼要素であり続けてくださった」と話しかけた。

大統領はチョルトオール院長に送った祝辞のなかで、「行政裁判所は他の司法機関とともに、時に厳しすぎる圧力をうけながらも世俗的、民主主義的な共和国でありたいという決意により、司法権の優位のために妥協することなく活動を続け、法治国家の原則の実現に大きな貢献をしてきている」と述べた。

首相もチョルトオール院長に次のような祝辞を送った。「司法監督機関が発展し、中立性を守りながらこの神聖な任務を遂行することは、トルコ共和国建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが指摘したように同時代人の文明を越え、近代的民主主義を確立することを目指し出発した私たちの歩みを強固なものにするという点で必要不可欠なことだ。」

■大臣らに瓶が投げつけられ、エジェヴィトは体調不良

“高等司法機関に対し行われた「共和国史上はじめて」の襲撃”は、行政裁判所の138周年式典、つまりチョルトオール院長が「私たちは標的にされている」と呼びかけた6日後の2006年5月17日に起こった。襲撃で亡くなった第2支部局長ムスタファ・ユジェル・オズビルギン氏は、コジャテペ・モスクで行われた壮麗な葬儀で葬られた。大臣らはモスクでやじられ、その頭にはプラスチックの瓶が投げつけられた。民主左派党のビュレント・エジェヴィト党首は、葬儀に参列した直後に体調不良を訴え、その後亡くなった。


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( 翻訳者:倉本さをり )
( 記事ID:10861 )