■ アハラーム社説:宗教間抗争の幕引きに向けた戦略を
ムスリムとキリスト教徒の間で起きた遺憾な事件(訳注:今月11日にカイロ南郊の村でキリスト教徒の家屋・店舗がムスリム住民に放火された事件)を受けてギザ県のバムハ村で開かれた和解の集まりが、宗教間の争いを煽るいかなる試みをも実効力のある形で未然に防げるような、口先や新聞紙上にとどまらない真剣かつ率直な議論の始まりとなることを我々は望む。
今回行われた和解の集まりが重要なのは、特別裁定委員会が問題の対処に直接あたった点にある。とりわけ礼拝堂問題に関しては、キリスト教徒村民がこれまで礼拝を行ってきたのと同じ場所で礼拝を続けられるよう合意がなされ、さらに彼らがバムハ村に教会を建設するよう、ギザ県に要望を提出することでも合意された。
こうした宗教間の争いが折々に燃え上がる原因となっている一番の問題は礼拝堂にある。礼拝堂をめぐる対立は、どっちがどこに礼拝堂を建てて欲しくないかなどといった話ではなく、法律によって決着されるべき問題であり、事態の根本にあるのは信仰の自由である。
イスラームの教えそのものが、キリスト教とユダヤ教という二つの一神教の信徒たちに、強制されたり迫害されたりすることなく自身の宗教儀礼を行う自由を与えている。したがってこの気高いメッセージを全ムスリムが受け止めて、内乱の火を煽ったり、イスラームには無い考えを持ち込もうとしたりする、道を外れた者たちが上げる声に対抗できるようになることが必要だ。
バムハ村の問題は、原因や状況こそ違えども、エジプト各地の村や町で起きた他の問題と似通っている。だからこそ、こうした問題に対処するための統一の取れた戦略が必要なのだ。それによって問題が悪化する前に根絶することが可能になる。そのような戦略が存在し、適用されていたならば、バムハ村で対立の的となっていた礼拝堂問題についても、状況が暴発して被害と犠牲者が出る前に、合意が実現していたことだろう。
様々な問題に対し、断片的に沈静化を図るような解決策を取る時代は終わりを告げた。それぞれの問題の特殊性に配慮しつつも、一般的な脈絡の中に置いて見ることができるような、包括的な戦略が求められている。
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( 翻訳者:南・西アジア地域言語論(アラブメディア翻訳) )
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