「全政党がトルコ全土の意見を汲み上げる体制を築いていれば」:エルドアン首相とのインタヴュー
2007年06月18日付 Zaman 紙

選挙遊説を南東部から開始したレジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、政界に向けて重要なメッセージを伝えた。

首相は、諸政党が、トルコ全土で組織を設け、全国民を包含する政策を追求すべきと主張し、「公正発展党以外にこのような政党があるとは思えない」と述べた。また、自党と民主市民党(DTP)を除く政党の、南東部における組織の脆弱さを批判する中、次のように喚起した。

「他党もこの南東部で勢力をもっていれば。あらゆる都市で集会を催すことができれば。この地域の住民から票を獲得できるよう務めていたならば。(この地域を)選挙戦の場としなければならない。」

ビンギョル、ムシュのような県が過去無視されてきたとし、自分たちはこうした地域に教育・保健の分野で多くの投資をおこなった、と語った。ディヤルバクルでは1500の村に水を供給し、ムシュでは水のない村はたった一つだとして、こう続けた。

「村落基盤整備(KOYDES)計画の結果がこれだ。私たちがおこなった計画だ。以前からの継続のものではない。この地域の全都市を廻るつもりだ。国土である全土地を…。そうせねばならないことなのだ。」

各地での集会に相異なる新聞社を招くエルドアン首相は、ビンギョル、ムシュへの遊説の際、本紙を招いた。機中、本紙の編集責任者エクレム・ドゥマンルとアンカラ出版部代表ムスタファ・ユナルの質問に答え、歓談には副首相で外務大臣のアブドゥッラー・ギュルも加わった。

首相は、トルコのとって微妙な地域である南東部を最も重視したとし、7月22日の投票日以前にこの地域の全都市を廻る予定である、と語った。ビンギョル、ムシュでの集会場を埋め尽くした大衆の熱気は、首相を満足させたかにみえる。広場の様子は(2002年)11月3日の選挙の際の集会に比べるとかなり良いとの考えのようだ。

「連れてこられた人波ではないし、周辺県から駆けつけたものでもない。ひとを集める規模というのは、単に集会場のはなしだけではない。沿道での国民の関心は満足いくものだった。本当の反応は街頭が伝えるものなのだ。」

公正発展党の力を一部地域ではなく、トルコ全土から得ていることに注目する中、全土を包含したと主張した。「我が党は、81県中79県で国会議員を擁している。このことは、トルコの信用や保障上、意味あることだ。国会議員を擁さない県でも地方行政には参画している。」

■ 大統領は国民が選ぶ

首相によれば、「選挙翌日にはどのような結果が待っているか」との質問の答えは、何党が得票率10%の足切りを越えるかにかかっている。「もし2党が足切りを越えれば、我が党としては現況よりも勢力を増そう。」

首相は、新議会期では大統領選出で支障は生じないと信じている。「なぜなら、(このままでは)我が国はこの負担を撤廃できない。解決に向けた措置を講じるだろう」と語る。

また、大統領公選に向けて作成した憲法修正案をアフメト・ネジュデト・セゼル大統領が承認せずに国民投票に付したこと、憲法裁判所に判断を持ち込んだことについては、次のように評価している。「大統領を国民が選ぶという点では、すでに措置を講じた。ここから引き下がることはない。この点に関する決定は、次期議会期でも継続する。提出案を引き続き追求するのだ。」

「テロとの闘いで政治的な意思と軍部との間で見解の相違があるのか」との問いに、首相は明快に答えた。「ない。」ついでこう続けた。

「テロの問題に関しては、治安部門が必要とするあらゆる措置を講じた。ご存知のように、財務大臣はテロとの闘いの高等委員会のメンバーだ。さてなぜお考えにならなかったのだろうか。治安部隊が必要とする装備・必需品といった備品に対応するため、大臣はメンバーなのだ。必要とするすべてに対応した。この問題で譲歩はできない。」

■ 国民の不満に直接関心を向けている

エルドアン首相が国民の中に分け入ると、絶えずメモや手紙が手渡される。ビンギョル、ムシュの集会でも何十通もの手紙が届けられた。首相は彼に伝えられた要望をどのように評価しているのか、次のように語った。

「すべてに関わっている訳ではない。テーマごとに対応する部署がある。彼らがすべてに目を通している。自分たちで対応できるものはそうしている。各部署の代表が関係各所に要望を伝えている。一部私のところに届く問題もある。国民の要望に応えることができなかったとしても、不都合な回答も責任者に届けさせている。

個人的には、病気に関心を向けている。このことを重視している。集会のため赴いたスィイルトで、あるひとが私のところに来た。「今、腸がでてるんです」と。知事に指示して、「搬送し、アンカラへ送れ」と命じた。事後についても注目している。こうして指示の遂行に務めている。連絡を取り、事後経過も追っているのかと尋ね、投げ出したりはしない。病気で訪れたと県庁は対応しない。このように注意した知事、郡長、市長がいる。

骨髄の疾患を患う女性の病気にも関心を寄せた。その母親に連絡をとり、当人を(イスタンブルの)チャパに勤務する医師のところに送った。移植のため、国外から適応する骨髄を取り寄せた。しかし亡くなってしまった。このことを忘れられない。」

■ 保健と銀行業に関して重要な措置を講じた

首相は、公正発展党政府が誇れる成果を列挙する際、保健と銀行業に関する措置を例に挙げ、次のように語った。

「政権についた際、すべてが停滞していた。まず確認作業を行った。絶対に必要な計画を終えよう、と話し合った。その計画遂行後に、新規計画を検討した。

保健分野でおこなったこと、病院の改革は重要である。医薬品に関して実施したことは忘れ得ない。以前は単に病院関連の薬剤所で医薬品を受け取ることができた。夜半も(受け取りのため)列を組んでいた。薬もすべて受け取れなかった。このことを変えた。2.5秭(クワデリリオン)(リラ)の資金を取り分けた。この資金をどこから見つけたのか、(薬局と国民をつなぐ)管から。薬局にも国民にも利した。医薬品の料金が30%下がった。

銀行も堅実な金融部門となった。2001年にワクフラル銀行が破綻した。フランス企業が欲しがった。2億3000万ドル(283.7億円)の金の上乗せを要求した、引き受け救済するためにと。2005年に株式の20%が民間に売却され、55億ドル(6784.8億円)を超える値段で売却された。(貸付額により)ハルク銀行の価値は16倍増加した。勧農(Ziraat)銀行(の価値)は、欧州の銀行のトップ3内である。

首相は、日記をつけているとメディアに伝えていた。「ずっと続けているのですか」との質問に、「続けている。ムシュやビンギョルの選挙集会についても書き留めるだろう」と返答した。エルドアン首相は、エルトゥルル・ギュナイ、ハルク・オズダルガ、ザフェル・チャーラヤンといった新参者の選挙区以外でも選挙戦に協力するとも付け加えた。

■ 改革は国民に説明されていない

エルドアン首相は、改革の性質を帯びる成果を国民に伝えることができない点に関し不満を述べ、次のように語った。

「鋭意努力した。ただ実行したほどには説明できなかった。これにはいくらか組織の責任もある。同僚は「なんとしても政府をつくる」と、ことを重く受け止めすぎた、恐らく。かつて市行政での活動を組織はもっとうまく説明していた。県、郡、さらには町、市の代表者の成果は組織により伝えられていた。アマチュアの精神はこうだった。いまやプロの精神が(こうしたことを)閉ざしている。」

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( 翻訳者:清水保尚 )
( 記事ID:11181 )