変死した故ナセル大統領の娘婿は二重スパイだった?!
2007年06月29日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ イスラエル紙:「アシュラフ・マルワーンは73年の戦争でイスラエルを失敗に追い込んだ二重スパイだった」
■ マルワーン氏とモサドとの関係を暴露した政府高官の裁きを求める声がイスラエルで上がる
【ナザレ:本紙ズハイル・アンドレウス記者】
昨日金曜に発行されたヘブライ語各紙は、アシュラフ・マルワーン氏〔訳注:エジプトの故ナセル大統領の娘婿で故サダト大統領の情報顧問を務めた〕がロンドンで変死した事件で持ちきりだった。新聞その他のメディアはマルワーン事件を、建国以来イスラエルの諜報機関が喫した最悪の失敗であると一斉に報じた。
1973年の第4次中東戦争時にモサド長官を務めたメイール・アミート氏〔訳注:実際にアミート氏がイスラエルの主要諜報機関であるモサド長官の職にあったのは63~68年〕はイスラエル公営第一チャンネルでのインタビューで、イスラエルの治安および司法機関は即座にエリ・ゼイラ将軍を反逆罪と国家治安に反する罪で法廷に引き出すべきだと発言した。
木曜発行のイスラエル各紙は水曜日にロンドンで死亡したエジプト人実業家、アシュラフ・マルワーン氏は二重スパイだったと明言し、本当に自殺だったのか、それとも殺されたのかと問いかけた。エジプトの中東通信社(MENA)が水曜日、エジプトの故ガマール・アブドゥンナースィル大統領〔=ナセル大統領〕の娘婿である億万長者アシュラフ・マルワーン氏がロンドンで63歳で死亡したと公表していた。
未確認ながらカイロで広まっている情報としていくつかの報道は、マルワーン氏がロンドンの高級住宅街のひとつにあるマンション5階のベランダから転落、事故死あるいは自殺だったと報じている。
イスラエルのイディオット・アハロノート紙はこのスパイが自宅ベランダから転落した件には疑問が付きまとうとし、「アシュラフ・マルワーンの死はその生と同じく完全に謎に包まれている。彼は殺されたのか、それとも自ら死を選んだのか?」と伝えた。さらに同紙は、2003年にマルワーン氏がモサドの大物諜報員だったことをイスラエルが暴露して以来、彼が自身の命を危惧していたと親族がロンドン警察に伝えたことを受けて、他殺の可能性も捜査されていると報じている。さらに同紙によれば、マルワーン氏は死亡したのと同じ日、4年前に彼の正体を暴露したイスラエルの歴史家、アハロン・ベルグマン氏と会うことになっていたという。ベルグマン氏は同紙に対し、死の前夜にマルワーン氏が電話を寄こし、留守番電話に3件のメッセージを残したがこれは異例なことだと語り、「その後私は彼に電話をし、調子はどうだときいた。彼は頭痛がするほかは元気だ、と答えた。そして翌日の晩に会う約束をしたんだが、彼からの連絡はなかった」と続けた。
さらにイディオット・アハロノート紙によれば、第四次中東戦争時にイスラエル国防軍の諜報機関アマンの長官だったエリ・ゼイラ将軍や当時のモサドおよびシャバク(国内諜報機関)の高官たちはマルワーン氏を二重スパイとみなし、彼こそがモサドに大きな失敗をもたらした完全犯罪の実行犯だったと認識しているという。しかしこの見方にはなんら根拠がないとして批判する人々も一方で存在する。
イスラエルの大衆紙『マアリブ』も、「アシュラフ・マルワーンは73年のヤウム・キプール戦争〔第四次中東戦争〕で我々に失敗をもたらした二重スパイ」だとみなした上で、「国家の恥だ。マルワーン氏の死の裏にいかなる理由があるにせよ、イスラエルの諜報活動の歴史には汚点が残された。モサドはこの二重スパイの犠牲となり、笑い者にされた」と伝えた。また同紙は国家の側が存命中に情報源の名を明かしたことを厳しく批判し、それは国際的な諜報活動のルールを破る行為であり、今後はいかなるアラブ人でもモサドに情報を提供しようと考える前に熟慮するようになり、マルワーン氏が自宅ベランダから転落したことを思い出すことだろう、と報じた。
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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:11270 )