故ナセル大統領の娘婿がロンドンで変死
2007年06月29日付 Al-Ahram 紙

■ 英国の医療刑事裁判所が本紙に談話:「マルワーン氏の転落死に関する最終報告までには4週間必要…遺体は今日午後にも引き渡される可能性」
■ 親しい友人ら:「最後に会ったとき故人は元気だった…回顧録の執筆を決意していた」

2007年06月29日付アル・アハラーム紙(エジプト)HP1面

【ロンドン:アブドゥッラフマーン・アル=サイイド】

 ロンドンの高級住宅街の例に漏れず、カールトン・ハウス・テラス24番地に立つビルは住人とその訪問客以外は出入りできないよう戸締りされ、住人の許可なしには正面扉が開かない仕組みになっていた。

 エジプトの故サダト大統領の情報顧問を務めた故ナセル大統領の娘婿、アシュラフ・マルワーン氏はこのビルの住人の一人に過ぎなかった。しかし一昨日のその死によって今後しばらくの間、少なくともロンドン在住のエジプト人やアラブ人の間では、このビルとマルワーン氏の名は一対のものとして語り継がれることだろう。

 一昨日の水曜午後1時半ごろ、アシュラフ・マルワーン氏はビル正面5階にあった自宅マンションのベランダから転落した。ビルから外国人記者クラブまではほんの数メートルの距離だ。

 英国警察の報道官が本紙に語ったところでは、現場に居合わせた通行人から即座に通報があり、ビルがある地区がセンシティブな場所に位置することから、パトカーは数分で到着したという。カールトン・ハウス・テラス通りは常に人で賑わうピカデリー・サーカスから徒歩で5分以内、バッキンガム宮殿や首相官邸のあるダウニング街10番地、英外務省の会議場のひとつからも数分の距離にある。

 そしてロンドン時間の1時40分、パトカーが事故が起きた地区の警察署に報告するとすぐに救急車が呼ばれ、パトカーに伴われながらアシュラフ・マルワーン氏の遺体を検死局に搬送、検死官が遺体を調査する間に警官がマンションの捜査にあたった。

 本紙の得た情報によれば、ベランダから転落した際、マルワーン氏は一人でマンションにいたという。英国警察の報道官は今回の件を今のところ不審死として取り扱っていると述べ、その後に出された声明で、適切な時期にウエストミンスター地区の検死局に詳細な報告書を提出すると付け加えた。
(中略)

 観測筋が本紙に明言したところでは、マルワーン氏は持病が原因でこのところ大量の薬を常用していた。しかし亡くなる前の数日は健康状態も良く、生きる意欲を見せていたと、ロンドン在住エジプト人会の運営メンバーで実業家のハムディー・アル=サーウィー氏は語る。

 またマルワーン氏はロンドンにいる間は毎週土曜の晩をムスタファーとサブリーのダルウィーシュ兄弟と共にロンドン中心部のエッジウェア・ロード、通称『アラブ通り』にあるフォト・インで過ごす習慣で、最後にダルウィーシュ兄弟がマルワーン氏と会ったのは事件の2週間前だった。これについてサブリー・ダルウィーシュ氏は本紙に対し、「最近彼はとても元気だったよ。最後に会ったときもすごく幸せそうに見えたから、ニュースを聞いたときは本当にショックだった」と語った。
 
 またマルワーン氏の友人の一人は、「彼は回顧録の執筆で忙しくしていた」と言う。この友人が時折騒がれる彼とイスラエル諜報機関との関係について3週間ほど前に質問してみたところ、マルワーン氏は微笑みながら、「近いうちに書き上げる私の回顧録ですべては明らかになるだろう」答えたという。しかしこの点についてサブリー・ダルウィーシュ氏は、「故人は寡黙だった。誰も彼が何を考え、何をしているのか、正確には知らなかった」と述べている。

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:11285 )