1999年の選挙実施日のラディカル紙の見出しは私のお気に入りだ。「政治は汚れもの、選挙で清められるもの」という。
私は1964年生まれだ。覚えている限りで一番初めの選挙は1973年のものだった。とんでもない条件の中、とてつもない争点でもってなされた選挙であった。
その後は1977年の選挙である。毎日10人以上の人が死んでいった状況下で、血のメーデー事件(5月1日)のすぐ後に行われ、これまたとてつもない議論を呼んだ選挙であった。
その後9月12日のクーデター、そして実際に私が新聞記者として取材することとなった初めての選挙が1983年の選挙である。これもまた尋常ではない条件下での選挙であった。
1987年の選挙は私にととっておそらく最も「普通の」選挙だった。なぜなら、その時期私は徴兵されていたからだ。尋常でない事態は、選挙の後起こることとなる。
1991年はおそらくもっとも幸福な選挙であった。なぜなら、当選が予測された2つの政党とも民主化を約束したからだ。選挙後彼らは全く何もしなかったが、それはまた別の話。
1995年の選挙は、70年代が懐かしくなるほどまで両極化した、しかしどちらにせよ中道右派政党が場所を占めていた奇妙な選挙となった。福祉党が当選したことには何故か誰も驚かなかった。
1999年の選挙は本当に遅すぎた、そして望みの綱を、一時忘れられていたビュレント・エジェヴィトに託すほどにどうしようもない選挙であった。
2002年、歴史上最も危機的であった経済不況からの脱却をめざしての選挙。さて、10年後同じ記事をまた書くとして、今日の選挙は1行でどんな風に言い表す事ができるだろうか?
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「本来の民主主義」の名の下に宣伝キャンペーンをし、ラディカル紙をそういった方向から読者に印象付けようといった思いは、単純な理由からだ。特に今年の4,5月、トルコでは、まるで世俗主義であることも民主主義であることも禁止されたかのような雰囲気が広まっていたからだ。
世俗主義を守るためには民主主義をも犠牲にすることも有り得る、それどころか犠牲にしなければならないのではと考える人の数が、かなり増えてきた。
しかしながら、これは馬鹿馬鹿しい事態だった。最初に思い浮かぶのは「あなたのお母さんを愛していますか、それともお父さんですか?」という質問だ。これは馬鹿げた質問だ。誰も、父と母のどちらかを選ぶことは強制されるべきことではない。人間、同時に父と母の両方を愛することができるものである。
これ以上長々と書くのはよそう。こうして最後に、あなたがた全員が衆知のところであり、TVで見たこともある、インターネット最大の共有動画サイトYouTubeでも視聴および書き込み記録を樹立した我々の宣伝フィルムが出来上がった。
「本来の民主主義」を、まだトルコには存在していない素晴らしい新発明かのように、そしてこれを用いる者たちに大きな利益をもたらすものかのように紹介すること、つまり我々のフィルムは、子供向け広告の発想だ。
強い発想というのはこんな風だ。人々を黙らせるものだ。
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今日我々は投票に行く。おそらくこの記事をあなたがたが読むころには、既に投票を終えていることだろう。
あなた方が誰に投票したにせよ、「本来の民主主義」に投票したのだ。投票箱の前まで行って票を入れることは、最も基本的な、絶対に諦めてはならない民主主義における我々の権利であるからだ。他のいかなる民主主義的権利も、投票権が無ければ全く意味がなくなるのだから。しかし疑いなく、民主主義は大きな1セットの包みであり、セットのなかで何が欠けても民主主義を「本来的」なものから遠ざけさせることとなる、それどころか民主主義それ自体から逸脱させることもある。イランで「民主主義」は存在する。誰もが投票権を持ち、大統領、そして国会議員を選んでいる。しかし最終的な決定はいつも、高い地位の宗教家たちから成る委員会が決定している。
これも「民主主義」と言うことができるのだろうか?
こうして、そもそもまさにこのために、クーデター有り、殴り合い、傷つけ合い有り、左右の線引き、痛み傷有りきの民主主義ではなく、「本来の民主主義」を我々は望んでいるのだ。すべての自由が保障され、政府に責任追及し権利を要求する道が決して絶たれることなく、いつも我々が選んだ政治家が政治をし、権限を国民から与えられていない組織が最終決定を下すことなど決してない「本来の民主主義」を。
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同じ記事を10年後また書くとしたら、今日行われる選挙を「本来の民主主義」へより近づくための一歩であった選挙と性格付けるだろう。
我々の宣伝フィルムで言及されたように、おまけに「本来の民主主義」を用いることは本当に簡単だ。投票用紙を折って封筒に入れ、投票箱に入れる。すべてそれだけなのだ。
イスメト・ベルカン
編集長
ラディカル紙
本来の民主主義は、今日、トルコの至るところにあります。投票箱の前にあります。絶対にあきらめずに本来の民主主義を要求してください。どうぞ楽しく用いてください!
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( 翻訳者:田林 玲 )
( 記事ID:11448 )