大アーヤトッラー・サーネイー「若者は自由を奪おうとする宗教を忌避している」
2007年08月18日付 E'temad-e Melli 紙
まず最初に、大学生や大学関係者らの宗教忌避について指摘しなければならない。彼らは、宗教に対するある種の理解を拒否しているのであり、一部の問題は宗教と関わるべきではないと考えている。しかしその一方で、無意識的に宗教を忌避している人々もいる。彼らはさまざまなストレスや困難に直面して、宗教から目を背けることで状況が改善されるものと考えている。もちろん、このような宗教に対する忌避行動は一時的なものに過ぎない。
例えば、約束を守ることはイスラームでは義務である。国家が人民と結んだ契約もまた、この種の約束に属する。それ故、人民に対して〔実現不可能な〕約束をするべきではないし、もし約束をするならばそれを履行することが義務となる。そして万が一履行が不可能だった場合には、その理由を説明する義務があるのだ。もしそれを怠れば、それは聖法上ハラーム〔違法〕である。
この問題については、特定の司法手続きが守られる必要がある。厳格な条件の下で、4人の証人による良心に基づいた完璧な証言が得られなくてはならない。そうでない場合は、ミールザー・ゴンミーのファトワー〔宗教上の教令〕にしたがい、判断を無謬なるイマームの再臨〔お隠れ状態の第12代イマームが終末のときに救世主マフディーとして再臨するというシーア派の信仰を指す〕に委ねるべきであろう。いずれにせよ、《裁判官の良識》が判断の基準となることはない。
女性が男性に従うということは、女性が奴隷であるということを意味するものではない。男性が女性に対して行為の許可を与えるこがと正当であるならば、女性が男性に対して行為の許可を与えることも、同様に正当性を有する行為である。例えば、男性は女性の尊厳や権利を侵すことになりかねないような場所に行ってはならない、といったことを命ずる権利を、女性は有しているのである。
( 翻訳者:斉藤正道 )
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