ムラト・バルダクチュ氏、「ナクシュバンディー教団が200年ぶりに勝利をえた」
2007年09月01日付 Milliyet 紙
ジャーナリストのムラト・バルダクチュ氏は、政権への参加を望むナクシュバンディー教団のハリディーエ支部が、大統領選挙に当選したギュル氏の出身地で影響力を持っていると主張した。
ジャーナリストのムラト・バルダクチュ氏は、アブドゥッラー・ギュル氏が大統領に選ばれたことが、ナクシュバンディー教団にとってある意味勝利であると書いている。
バルダクチュ氏はジュムフリイェト紙に昨日(31日)掲載された記事で、ナクシュバンディー教団のハリディーエ支部は政権を支配下におこうとしているとの考えを示した。彼の記事によると、ナクシュバンディー教団はムハンメッド・バハウッディン・シャーフ・ナクシュバンディーによって1400年代に、ハリディーエ支部はメヴラーナ・ハリッドによって1770年代に創設された。オスマン時代にはハリディーエ支部は政権に加わろうと奮闘するものの、マフムード2世の時代に教団関係者がイスタンブルから遠ざけられた。しかし教団は共和国時代にも活動を中止することはなかった。「トルコ大国民議会が1925年11月30日に可決した法677条で、テッケや集会所などが閉鎖されたのち・・・ただ一つの教団、ナクシュバンディーと特にハリディーエ支部が厳しい監視にあった。というのは、他の教団とは反対に、世俗権力つまりは国家にとって権力争いのライバルとなる唯一の教団がナクシュ・ハリディの教義だったからだ。
■ 「ギュル氏の周囲にはいつも彼らがいた。」
バルダクチュ氏は、公正発展党(AKP)の成功はナクシュ・ハリディ教義の勝利であると主張し、こう続けた。「現在大統領のギュル氏はナクシュバンディーや他のいかなる教団とも関係がない、あるいは関係について知られていない。しかし生まれ育った地域にはナクシュバンディーの影響が常にあった・・・ギュル氏の人格形成に重大な影響を与えたのは大東運動(註1940年代以降に影響力を持ったイスラム主義運動)のリーダーのナジップ・ファズィル・クサキュレキ氏であり、彼はナクシュ・ハリディ運動の大シャイフの一人、アブドゥルハキム・アルヴァスの弟子であった。」
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参考記事:Emre Kongar コラム:現実のトルコと「仮想の」トルコ
( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:11799 )